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君たちはどう生きるか2回観ての感想

 どうも、りおです。初めて同じ映画を劇場で2回観てきました。この映画は評価が凄い分かれてて星1と星5ばっかって感じで面白いです。
 僕は星5って感じの評価なんですけど、自分なりに語っていこうと思います。

🙉今回はネタバレありです🙉

一味違うアニメーション

 評価は割れているが最初の火事のシーンのアニメーションにはみんな鳥肌がたったのではないだろうか。そのシーンで印象に残っているのが主人公の一人称になるシーンだ。これまでのジブリはどちらかというと三人称で走るシーンが多いイメージが個人的にはあった。それなのに今回は初っ端から一人称のカットをもってきた。一回目も二回目も最高に心躍った好きなカットだ。

 『君たちはどう生きるか』と検索をかけると気持ち悪いと出てきた。調べてみるとカエルが無数に体をはってくるシーンや魚を解体するシーンのことを言っているようだ。僕はあえて気持ち悪いシーンを持ってきているような気がした。
 今までのジブリらしいアニメーションといえば綺麗なものをより綺麗に、美味しいものをより美味しくなどポジティブなものを際立たせる技術がジブリっていう感じがあった。しかし今回は魚の解体などネガティブと捉えられるようなシーンにその技術を応用している。現実より綺麗に描くという快楽を否定したのだ。宮崎駿の最後の作品ともいえる作品でこれまでやってきたことを破壊して新しく構築するという行為、僕はこの行為にリスペクトしたいし、モノづくりをしている自分にとっては身近に感じることができて不思議な気持ちになった。

敷き詰められたメタファー

 『君たちはどう生きるか』は言っちゃえば宮崎駿の原液だと思っている。キャラクターのセリフも宮崎駿が言っているように感じるシーンがいくつかあった。

 翼が折れたペリカンが私たちはこう生きるしかなかったと言うシーン。このペリカンは宮崎駿だと思った。私はアニメ業界でしか生きてこれなかったと告白しているのだ。結局私にはアニメしかない。ペリカンは宮崎駿の自我の表れだ。前の話が混ざるが、ポジティブに使っていた技術を今回はネガティブにフォーカスして使ってきたということはこれまでの使い方に葛藤があっだはずだ。いきすぎたフィクションの怖さを伝えたかったのだろう。

 大叔父が眞人に世界を託すシーンはやっぱり次のアニメ業界へのバトンを渡すシーンといえるだろう。しかし結局託されず、あの塔は崩れてしまう。宮崎駿という大きな存在が創り上げたアニメーション文化を自ら認め終わらせたのだ。私はこのシーンで号泣してしまった。宮崎駿は想像できないほどの悲しみがあったに違いない、しかし自ら終わらせ責任を負ったと思うと言葉にできない感情が込み上げてきた。
 託されることを拒否した私たちはどう生きるのか、選択肢は無数ともいえる。

あとがき

 読んでいただきありがとうございます。もう少し綺麗にまとめたいんですけど感情爆発して無理ですね🙇‍♂️
 美大の友達とかはやっぱり高評価の人が多いんでモノづくりの人間からすると身近な作品なのかもしれないですね。
 早くファンブック出ないかなーー。

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