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過去の自分の常識を壊せない人間が老害と呼ばれる

異なる環境に身を置くと今までの常識が全然常識じゃなかったりすることがある。その時に新鮮な脳みそを持っていたり、素直な心を持っていたりすれば新しい環境の常識に従って自分の心と脳みそを順応させることができる。しかし今までの環境でうまくいっていたり、プライドが高かったり、権力は高かったり、そういった過去の自分を肯定してしまうような要素がたくさんあると、新しい環境の常識になじめなくなったりすることがある。成功経験の少ない若い頃の方が柔軟に新しい環境の常識に慣れることができて、成功体験を積み重ねてきた年配の人の方が比較的新しい環境の常識に馴染めない傾向があるように思う。

成功体験や自信やプライドや権力というものが自分の足を引っ張ってしまうことがあるということだ。だから職場で人を採用する時に年配の人を積極的に取りたがる企業は少ない。なぜなら常識というのは環境によってそれぞれであって全世界的な常識とか日本共通の常識とかそういった抽象的なものだけで現場は動いていないからだ。

逆に年配を採用するような状況というのはお互いの常識があまり異なっていないこと、かつ経験が豊富であれば即戦力になれるし、協調性を損ねることもないのでお互い好都合だということから起こり得るだろう。しかしながら、そういう状況ばかりが世の中にある訳ではない。

人は生きていれば年を取る。年配になった時点で全く新しい環境に飛び込まなければいけない状況だって当然出てくるだろう。そういった時に自分の常識をちゃんと捨て去ることができるだろうか、成功体験を忘れることができるだろうか、新しい環境こそが正義だと考えることができるだろうか。そういうことを日々念頭に置いておかないと後々痛い目に遭う。

慢心は自分の生活においてあまりいい影響を及ぼさない。自信過剰でいいのは何かに挑戦する時と何かに挑戦しなくてよくなった時だけだと思う。少なくとも何かに順応する時ではないだろう。

とはいっても長く続いた環境で自分の地位を確立してしまうと、そんなことを忘れてしまいがちだ。そしてそこから変われなくなってしまった人間こそが老害と呼ばれる。そのことを若い頃から自覚しておけるかどうかが肝になるのだが、それは人の性格次第だったりとか、環境次第だったりするので、どうにもならない部分は多々ある。

少なくとも変化できる人間というのは強いので、強くなりたいのであれば素直な心というのは身につけておくのが良い。

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