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シネマティックな表現とは? 映像表現の新文法(1)

5月末までの緊急事態宣言中の外出自粛で、自宅での映画や映像の視聴時間が増えたという方も多いと思います。私個人もその一人ですが、こうした仕事をしていると自分に課す義務として、年間約100本程度は必ず映画作品を観ることにしています。これは必ずしも映画館で見るという意味ではなく視聴方法には関係ありません。映画館はもちろん自宅でのPCやスマホでのネット映像、飛行機内での機内映像など様々ですが、とにかく本数を観ることで映像表現の新しい気づきや発見はあるものです。この外出自粛期間中も非常に勉強になった作品がいくつもありました。特にNetflixでは気になっていた作品も多く、旧作などの見返し視聴も含めて、かなり多くの時間を映画鑑賞に費やしたと思います。今回はその中でも、最も気になった2つの作品についてお話したいと思います。

Part 1:ROMA/ローマ完成への道
Part 2:PARFUMー香りに魅入られた悪魔

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Part 1:ROMA / ローマ完成までの道 CAMINO A ROMA

Netflixで今年2月に公開された本作。これは2018年に公開されたNetflixのオリジナル作品であり、その映像美で2019年度の米アカデミー賞をはじめ、世界の映画・映像の賞を総なめにしたアルフォンソ・キュアロン監督の名作『ROMA』の、いわゆるBTS(Behind the Scene)=メイキング映像で、約70分のアルフォンソ・キュアロン監督へのインタビューを中心に構成した、Netflix制作のオリジナルドキュメンタリー作品です。
『ROMA』は、私がここ近年でもっとも美しい映像作品だと思っています。有名俳優が出ているわけではないのに、世界は全然違うのになぜか共感も多く心に染み入る内容で、さらにはその映画的描写と現代映像演出の極みといったテクニックがふんだんに使われていると思うからです。
舞台はキュアロン監督自身の故郷であるメキシコシティーのROMA地区で、1970年ごろに実体験した、私的な思い出を映画化した作品ですが、モノクロ作品でありながらその圧倒的な映像美に、世界のフィルムメーカー達が驚嘆しました。
この作品ではキュアロン監督自身が撮影監督(DP=Director of Photography)も担当し、撮影の技術的な指示も全てキュアロン監督が行いました。そして映画監督でありながら、通常ならばキャメラマンが受賞するアカデミー撮影賞も受賞されています。実は本来ならばアカデミー賞受賞の作品「ゼロ・グラビティ」(2013)でもコンビを組んでいた朋友の名DP、エマニュエル・ルベツキ氏が当初撮影を担当するはずでしたが、撮影開始の2週間前にルベツキ氏のスケジュールが合わないことがわかり、本人がDPを兼ねることになったそうです。
でも監督の、その撮影の細部にまでわたる繊細な構図や照明設計、豊富な撮影技術の知識、そして何よりも演出と密接に関連するキュアロン流とも言える独特の撮影技法は、まさに昨今の映画の中でも、まさに映画撮影のお手本と言えるでしょう。
このドキュメンタリーの中では、特にシネマティック、いわゆる映画的と表現される部分について、そのヒントとなることが多く語られていたことにさらに驚かされました。

台本ナシ!こだわった撮影手法

ROMAの撮影は、基本は台本ナシで進められていました。それは正確なストーリーがキュアロン監督の中にしかなく、またこの世界観の中で人物をどう動かすか?もキュアロン監督しか知り得なかったからです。それだけに撮影にも非常に細かいこだわりが見られます。
この作品に使用されたカメラは65mmのラージフォーマットセンサーを搭載したALEXA 65。これはARRI ALEXAシリーズの中でも、現在最高峰の映画撮影用カメラです。日本ではまだCM等にしか使用されておらず、現状は海外のARRI社の拠点からレンタルするしかありませんが、65mmという広いセンサーサイズをフルに活かした映像は素晴らしくクリアで、スーパー35mmには得られない表現力を持っています。
このメイキング映像では、撮影についても細かい部分まで技術班にしっかりと指示していることがわかります。監督自らがライトメーターを持って、照明の位置や光量まで細かく指示しています。
また画角がシネマスコープサイズになっていますが、これはエマニュエル・ルベツキ氏の推薦だったそうです。当初は1970年の時代性を考えて、キュアロン監督自身は正方形に近いサイズを考えていて幅広のシネスコサイズには懐疑的だったそうです。しかし、やってみるとモノクロにも関わらず、最新のデジタル映像なのでフィルムグレインなどのノイズ要素もなく、1970年当時には存在し無い、最高にクリアなデジタル画質なので、それを受け入れることで、これまでにない、2018年作の65mmフォーマット/4K解像度のモノクロ映画を作り上げました。これはもう1960年代までのモノクロ映画とは全く違う映像表現であり、まさに新しい映画と言えるでしょう。
そしてアスペクトフォーマットが決まると、撮影方法の全てが決まってきたと言っています。『ROMA』が撮影された当時の2016年ごろは、まだALEXA 65も出たばかりで、対応レンズもあまり多くなく、35mm、50mmなどの標準的なレンズを多用しています。シネスコサイズにしたことで、パンニングを多用して幅広い空間表現をしています。
この広い空間を表現することに結びついてくるのが、キュアロン監督が言う映画でのもっとも重要なことである客観性です。もっとも客観的な表現は、遠方からの追跡撮影で、距離を置くことで客観性が保たれ、画面の中の時間や世界から感情が伝わるようになります。そしてその副次的効果として、共感が生まれると言うことが重要です。これこそが映画に共感を持ってもらえる大きなポイントであり、いわゆる映画的表現と言われることにつながるのではないでしょうか?

シネマティック=映像の言葉

主人公のクレオが映画館のある夜の街を歩き回るシーンは、メキシコのどこかの街並みでロケをしたのかと思っていましたが、すべてオープンセットでの撮影でした。1970年代のインスルヘンテという通りを完全に再現しており、今も実際にあるストリートだそうですが、様子が変わりすぎていて撮影には使えず、セットですべてを再現したそうです。その巨大なセット設営の様子も映像で残されています。
監督は背景となるセット美術についても興味深い発言をしています。美術などの小道具はどれも本物をどこからか探してきて揃えており、無いものはなるべく当時にあったものと本物そっくりのレプリカを製作しているそうです。小物はもちろん、インテリアや壁紙、街中の看板まで本物で、監督は「セットはすべてを再現したので安心だ」と語っています。
このセットへのこだわりについては、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルードウィヒ/神々の黄昏』を例にあげて、彼が劇中のケーキをニセモノではなく、当時のレシピを使って同じものを作らせたことを語っています。おそらく映画を観ている観客は、もしケーキがニセモノを使ったとしても気づかないでしょう。でもヴィスコンティ監督はそこに拘った。以前のキュアロン監督もそれは頑固者の気まぐれだと思っていたそうです。しかし本物にこだわることで映画制作者にとっては大きなものが得られるのです。それは嘘をつかなくてもいいという”開放感”です。画面から正しくない要素が剥ぎ取られることで、目には見えない無形のものが映ってくると語っています。
これは私も小さな撮影現場ですら何度か体験しました。撮影経験のある方ならご存知だと思いますが、「ホンモノ」は映像に映ります。例えば国宝級の骨董品の茶碗と、一見似た絵柄ですが、その辺の陶器屋さんで売られている茶碗では、当然ながら映像に映る何かが全く違うものになるのです。
『ROMA』ではセットを完璧にして、さらにそこに時代の流れにあった時間の流れ、車の交通量や人の歩き方などを再現しました。そのことでグッとホンモノの背景が出来上がってくるのです。

さらに興味深いのは、背景と人物の表現における映画的な表現とは何か?を明確化した部分です。広角レンズで長いテイクを撮影すると、人物と周囲の状況のどちらも優先されず平等になり、そのことで背景と人物の重要度が同じになります。映画で実際に重要なのは背景であり、人物はその中で動くだけであるということを言っています。主人公のクレオでさえも、登場人物の一人であり、世界を描くストーリーでは、人物はその場の空気の中で通り過ぎるだけです。まさにここが非常に重要です。キュアロン監督の演出では、この背景と人物の関係を重んじていて、それがいわゆるシネマティック=映画的であるという表現に繋がっていると思うのです。
また日本の映画やドラマで多用される、よくあるクローズアップ表現についても言及しています。クローズアップは役者や登場人物が強調されるわけですが、物事を安易に伝えてしまうことにもなり兼ねません。キュアロン監督も言っていますが、クローズアップはテレビや商業映画でよく使われる表現方法ですが、次々と会話がクローズアップだけで展開されるような映画は、目を閉じていても話がわかってしまう単調な映像になるでしょう。そのことを監督の言葉で伝えるならば「映像に言葉がない」のです。逆に映像が言葉として機能する、このことこそがまさにシネマティックな表現の真意と言えるのではないでしょうか?
キュアロン監督は『ROMA』を通じて、世界に共通する階級と民族の不条理な関係を映したかったと語っています。私自身はキュアロン監督とほぼ同年代ですが、日本人で育った環境も全く違うところにいながら、何か共感できる内容で、そこに感銘を受けたわけです。これはまさに世界に通じるテーマであり、映画化すべき内容です。『ROMA』のようなある種の”世界”を描く映画では、映像が言葉を持つことで、セリフを超えた表現が、世界の人々に共感を呼ぶ原動力になるのです。それが映画の持つ力と言えるでしょう。
このドキュメンタリー映像を通じて、私自身も長年考え続けてきたシネマティック/映画的表現の意味の一片がようやく見えたような気がしました。


さて、次のPart2では、新しい映像技術”アクティブDoF”を利用した、エキセントリックドイツのTVドラマ「PARFUM」で使用された例をご紹介します。

HOTSHOT
石川幸宏


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