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感想コミッションが好きだ。


創作やってて感想欲しいときないですか?

それも誉めて欲しい~指摘とかいらんから、こういうとこよかったですよ!ていって欲しい~でもそれで誉めてもらったら何故か申し訳なく感じるし、返信するのもどんなテンションか悩む~

って時にお金で解決するか!てなりました。

いろんなサービスで感想をくれるコミッションがあります。大体2000円~かな。辛口で!とか指摘が欲しい!とかそういうサービスもありますが、大体みんな誉めます!て言ってくれているので、自分と相性よさそうだな~てひとを選んで、依頼をします。

大体待って一週間くらいかな。
読んでもらって、感想を待ちます。
嬉しい!
満足します。
お金を払います。

ヨシ!

依頼して書いてもらうんだからそれはそうなる流れなんですけど、金銭的負担はあれど、心理的負担がないのが個人的に最高です。
何故かと言うと、

大体ジャンルとかしくじってきたの、人とコミュニケーションを取ったから

というのがあって、無論コミュニケーションを取ったお陰で出会えた人たちもいるんですけど、一方で作品に反応もらったし返さなきゃ!とかで交流重ねた結果、本編のことでネガティブな感想をもったのを言いにくいなとか、この人が喜びそうな話を書いてしまうな、とか、自我だしたら幻滅されて怒られたなとか、交流してみたらよくよく気が合わなかったな、とか。そういう、創作外のあれこれが積み重なって、向いてないなーてやっと気づきました。

感想は欲しいから、コミュニケーションを取らなくてもいい方法を選んでも根が単純すぎて誉められた犬のように愛想をふってしまう!だがしかし!コミュニケーションは下手だから、結局詰んでしまい、心がいがいがする。

という悪のループから抜け出すためには、金で感想を得るのが一番向いているんだなと気づいた次第です。

たぶん、ちゃんと人との距離感を見極められるひと、作られる人、できる人なら、よかったんですけど、わたしはそうではなかった。

人に好かれたいし嫌われたくないし、一見取っつきやすいけどめちゃくちゃ好き嫌いが激しいし、面倒くさいところがたくさんある!という、半端なキョロ充だったため、悲劇というか事故が起きてきたわけだったんですが、おそらく、そういうオタク、少なくないと思います。

感想というものを、交流のツールにしたから踏み間違えてきたし、正直なところ最初依頼したときはほんとにこれでいいのかな?と思ったんですけど、納品されたものを読み、なおかつお金を払ったことで、目から鱗というか、感想って実際好感度メーターみたいだなって思ってたんだなあと気づきました。

いやいやそんなことないよ、感想は感想でしょ、て思われたら実際その通りだと思います。感想って感想でしかなかったんですよね。

目に見えないものものの秤として扱っていたところがあったけど、それをお金で得る、買うというのは、一種の離脱になるというか。
勝手に開催していたでかい好感度争いみたいなものから、下りることが出来たんですよね。

好きなものを書いて、感想が欲しいなってときに、お金をだせば得られる、苦しまなくていい、というのは誰かからみたら逃げだし、ずるいかもしれないです。

でも、わたしはこうやって伝わればいいなと思って書いた話を読んでもらったとき、依頼した方が、これはこういう話だと思いました、てちゃんと読んでくれた感想をもらったとき、自分って間違ってなかったんだな、とか、伝わるんだな、とか、自分の好きなものを好きなように書いていいんだな、ていう安心感を得ました。
きっとそれが、自然的に発生した、偶然投げ込まれた感想だったら動揺していたと思います。
それって喜びだし感動だと思うんですけど、わたしはそれを負担に思ってしまっただろうから。
なにか返さなきゃ!と思ってしまう。
こんなに嬉しいんだからって。
根っこは自分の自信のなさかもしれないですけど、なんかそういうものって、どうにかなるものかというと、難しいです。

でもこれを読んで書いてる人って感想って負担になるんだ!とか、感想いわない方がいいな!とか、思わないで欲しいです。書いてる人それぞれが違ってて、欲しいものも嬉しいことも嫌なことも違うので。

わたしは感想が欲しいけど、感想をもらうと自分に負担がかかるようになってしまったし、感想もらわないとそれはそれで読んだときの感想が気になるし!
だから、お金を払って読んでもらって感想を書いてもらうことにしました。
それが自分にとっては創作の力になるから。

同じような人がいたら、参考になるかな?と思って、つらつらと語ってみました。

感想コミッション、いいですよ!
よき創作ライフをお過ごしください。

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