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いや、非効率にしか出せない価値があると信じています。 香川本鷹の試験販売へnoteでも長らくお伝えしている香川本鷹を販売する準備を進める今日この頃。 いざ準備しようとなると、準備するものが多くて、お金もかかって。 梱包用の箱、プリンターetc なにかとお金がヒラヒラ飛んでいきました。 とはいっても、必要だから仕方ない。 必要経費は必要経費。 自慢じゃないけど、お金はない言ってもどうするんだという話ですが、お金はありません。 これから何とか少しずつお金を頂戴出来るよ
この島では、直近5年で100人も人口が減少しました。 年下のウリボー1995年2月28日生まれ、25歳。男。 実はというと、私の暮らす丸亀市「さぬき広島」で20代男性は私一人だけなのです。 島に子供は居ません。 そのため、私にとって20代男性というのは、もはやテレビやyoutubeといったバーチャルな存在になっていました。 もちろん島外に買い物に行けば20代男性は居るわけですが、何を話すわけでもにないので、特に関係なし。 一日のうち、島で「若い」を見かけたのはウリボ
「自己嫌悪も悪くない」 秋口は何もしたくない日が増える私は季節の変わり目がとても苦手である。 特に、日照時間がみるみる減っていく、秋口から冬至にかけて。 秋の日は釣瓶落としというが、太陽の沈む速度は日増しに釣瓶落としから隕石落下くらいになっているのではなかろうか。 となると、春や夏とは打って変わって、 「何もしたくない日」 が増えてくる。平日は勤め先の仕事があるので、諦めがつくのだが、いかんせん日曜日が「何もしたくない日」になった場合、本当に布団から出られない。
「テレビみたいな話やな」 テレビとフィクションこの物語はフィクションです。 テレビドラマを見ていると、決まり切ってこの表現も画面に映し出される。ちょっとした歴史・伝記物ならば、 この物語は実話を基にしたフィクションです。 といったところだろう。 ドラマの世界では、日常の自分では経験しえない紆余曲折が映し出される。だからこそ、興味がわくし、ワクワクもする。 もしや私もただ、もし自分がドラマの世界と同じ立場に放り込まれたならば、私たちはその世界を楽しめるのだろうか。
「せっかくの絶景を、なぜファインダーを通して眺めなければならないんだ」 シャッターから指を離すシャッターを切る。 そして思う。 「せっかくの絶景を、なぜファインダーを通して眺めなければならないんだ」 カメラを本職にしている方には悪いが、20歳の私は、そんなことを思っていた。 モンテネグロのコトルという街で出会った景色は、私にカメラに対する忌避感を植え付けた。 「画角の外側にも目を見張る絶景があるのに、写真ではそれを伝えることができない」 生意気ながらそんなことを
穏やかな水面には仲間が集う 島には子供がいない子ども0人。 過疎だの人口流出だの少子高齢化を巡る問題は多々ある。 ただ、多々あるとはいっても、子どもが0人というのは、私の実体験として何よりもインパクトが大きい。 幼稚園生が発する黄色い声、快活な足音が聞こえない。 中高生の腹から飛び出るような笑い声が聞こえない。 「子どもたちのために」 という共通認識が通用しないというのは地域コミュニティが団結する大きな力を失っているように感じるのだ。 私の住む「さぬき広島」は子ど
私は人生をマニュアル車として生きていく。 わがままな自分と他人のペースおそらく私は自分のペースを守ることを人一倍大切に思う人間である。 要は、わがままなのである。 わがまま承知で言わせてもらえれば、今も昔も、私にとってペースを乱す人は定期的に現れる。 足を引っ張ってくる人は最悪無視をすればいいが、案外に厄介なのがいつの間にか急がせようとする人だ。 そういう人というのは私に興味を持ってくれていることも少なくなくて、興味があるからこそ、 「次はこれをしないといけないよ
糖尿病予備軍然として、うどんとの勝負に参戦した 健康極まりない日常島暮らしを開始してから私の食生活は「健康」の一途をたどっている。 自分で育てた野菜、もらえる野菜と野菜の摂取量が格段に増えている。 また外食する場が一つもない島では、自炊以外の食事の方法がなく、ジャンキーな食生活を送ろうにも送れないのだ。 そのため、先日もビデオ通話で学生時代の先輩に 「からちゃん、かなりやせたね。いい意味で。」 もともとそれほど太っていたわけではないが、自分でも自覚できるくらいに顔は細