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僕が公認会計士を目指すまで

はしがき

僕は公認会計士を目指す大学4年生。公認会計士になりたいなとは思ってたけどいつからなろうと思ってたのかモヤモヤしたのでここに書くことで整理したいと思う。おそらく長くなるので眠れない夜などに読んでほしい。眠れない夜に読んだ方がなんかいい文章だなとか思われそうだし。


幼少期

最初からこんなことを書くことは読み手にとって重たいことかもしれないが、僕は発達障害を持っている。特徴としては一部の能力が異様に伸びて、ある能力が異様に伸びないというものである。僕の場合、数的能力が異様に高く、保育園の頃から計算が好きで、特に大きい数字の計算を好んでやっていた。掛け算や割り算もある程度理解していたのを覚えている。しかし、言語発達が遅く、4~5歳まで上手に話せなかった。自分の意志を全然伝えられなかった僕はよくモノに当たってたという。まぁ端的に言えば計算好きな問題児である。そんな僕も友人には恵まれており、その子たちと話したいと思うようになってからは少しずつ言語能力も上がってきた。幼馴染の子たちにはとても感謝している。その代償なのか数的能力も少し落ちたと思う。


中学生(公認会計士を知る)

小学校の時はゲームいっぱいやりたいからゲーム会社とかに勤めたいな~なんて思っていたが、中学生くらいの時にふと「数字を使った仕事がしたい」と思うようになった。数学者になりたいと思っていたわけではない。ただ機械的に計算がしたかった。そんなことを母親に話すと「会計士とかいいんじゃね?」と言われた。自分でも調べてみたが、どうやら安定して給料も良く、めちゃくちゃ数字を見る職業というのが分かった。自分の求めているものなのでは?と思っていた。当時はどれくらい勉強すべきなのかは調べてないし、どれくらい激務なのかも知らなかった。この辺の詰めの甘さは僕っぽいと思う。ただ、まぁいいなくらいにしか思わず、特に行動に移すこともなかった。


高校生(簿記との出会い)

初めて簿記に触れたのは高校2年生の授業。商科大学付属高校ということもあり、週に8コマほど簿記の授業があった。その時の先生は優しく、教え方がうまかった。名前はもう覚えてないが、かなり世話になったと今になって感じる(当時は何も思っていなかった)。高2の6月には全商簿記3級を、その年の秋ごろには日商簿記3級をとった。日商簿記3級に関しては、高校退学後にとった。このころも頭の片隅に会計士はあったが、まぁ普通に大学行って、普通の社会人になるんだろうなと思っていた。


受験期(大学入学まで)

高校退学後、すぐに予備校に入った。会計学は学びたいと思っていたので、当時数学や物理、化学が好きだった僕だが、文系に進むことにした。大学のことを何も知らなかった僕は「あー理系で会計学って学べないんだ」と塾の面談で知った。国語がかなり苦手だったし、歴史科目を勉強しなければならないと思っていたので、かなりメンタルがやられた。「会計学・商学は明治大学が有名だよ」と当時の塾長に言われたので、とりあえず明治大学を志望する。MARCHというのも知らない僕は明治大学がどれくらい頭いいところなのかイマイチ分からなかった。

高校3年生の代から僕の担当になった英語・国語の講師に将来やりたいことは何かと聞かれ、真剣に考えず「会計士」と答えた。一日一時間は将来のための勉強に充てろと言われていたが、まぁいいかと思っていた部分がある。当時の僕は腐りまくっていたので、受験勉強も簿記の勉強もしなかった。なんとかなるだろうと思ってたんだろ思う。なんとかならなかった。

浪人してから受験勉強だけはやった。受験校は一応会計学、商学を中心に選んだ。今所属しているのは、会計学ではなく経済経営学科であるが、特別そこに入りたかったわけではない。僕の浪人時の担当講師から「受けてみれば?」と言われたから受けただけである。合格した中で一番偏差値、ネームバリュー的に良かったからそこを選んだ。今でもこの選択は良かったと思っている。


大学2年(公認会計士になることを決める)

大学の授業でも、会計学について触れているものは少なく、あんまり会計について考えてなかった。大学2年の頃に、一浪している僕は同い年で一つ上の学年の友達らが就活をしているのを見て、「学歴でも勝てないし、ガクチカでも勝てない。就活するとなるとやばいのでは?」と焦るが、特に何も行動は起こさなかった。これもなんとかなるだろうの精神が働いていたのだと思う。この頃から真剣に公認会計士になろうと思っていた。勉強が嫌いじゃないというのがあったが、一番の決め手は、「就活をしたくない」というものだ。逃げの選択である。


大学3年(簿記2級取得する)

大学2年、コロナ禍で大学の授業がオンラインであることから時間もあるし、簿記2級をとろうと考えた。しかし塾のアルバイトが忙しく、勉強へのモチベーションも高くなかった。そんなこんなで触れたとはいいつつも、簿記2級の参考書を買うだけ買い、最初の方だけをやっただけに過ぎない。そこからやったりやらなかったりを一年間くらい続けた。

時間だけは過ぎていき、大学3年の11月になっていた。公認会計士を目指す者として、簿記2級はとっておくべきと強く思うようになった。コロナのおかげで、SCBTというパソコンでの試験が毎日行われた。落ちてもすぐ受けれるというのが僕を後押ししてくれたように思える。そこからの2~3カ月は気持ちの浮き沈みが激しく、結構しんどかった。バイトの講師業もダメダメだった気がする。しかし勉強の甲斐があって2月に一発合格できた。緊張しすぎて夜は寝れなかったし、電卓も忘れてしまったが受かったのは嬉しかった。理解の浅かった連結財務が問われなかって本当に良かった。少しは会計学を知ってる人になれたのは良かったと思っている。

現在

今は大学4年生になり、在学中に簿記1級取得を目指し勉強している。大学卒業後は専門学校に行こうと思っている。どこの専門にするかは全く決めていない。今までバイトを忙しなくやっていたので、今年の目標は遊ぶことにしている。もちろん勉強は進んでいない。そのため在学中の簿記1級は相当厳しい。泣いちゃう。しかし今までの選択は全て良かったなと思っている。簿記の勉強は楽しいし、今もいろんな人と飲みに行けて楽しんでいる。2年後の僕が公認会計士試験に合格していることを願うばかりだ。

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