多趣味であることを損得で考えない

 タイトルは自分への戒め。僕は趣味が多い。具体的に上げると――別に読まなくていい――、音楽を聴く、作詞、作曲、歌、ギターを弾く、nana(気軽に自分の歌とか演奏を投稿できるアプリ)、ハーモニカ、詩を読む、マンガを読む、本を読む、YouTubeを観る、映画を観る、アニメを観る、ネットサーフィン、イラストを描く、筋トレ、動画を作る、ファッション、などなど。インドア趣味ばかりなのはお察し。こうして書き出してみると本当に多い。そしてめでたくこの度「note」という趣味が増えたわけだが。

 このことは「note」を始めようと思ったきっかけになった話題で。このご時世外に出ることは憚られる――別に普段から外に出ようと思わないけど――から、趣味に費やす時間が増えて、趣味について考える時間も増えた。

 ほかの人がどうなのかはあまり分からないけど、僕の場合趣味には波がある。作詞ばかりする時期があれば、ギターばかり弾きたくなる時期もあるし、YouTube ばかり観ていたい時期もあった(あくまでそれがメインで、それ以外の趣味を全くしないかというとそういうわけではない)。その周期はまちまちで、何年も続くこともあれば、数か月で過ぎ去ってしまうこともある。

 ここ数年は音楽に関係する趣味がメインでループしていたから、自分はもうそんな趣味をずっと続けるんだと思っていた。実際音楽好きだったし、音楽のことばかり考えていたし。だけど自粛期間に入ってから突然興味が変わって、イラストを描くこと、アニメを観ることがメインの趣味になった。これらがメインになるのはそれぞれ約6年、約4年ぶりで、今のところ1~2か月は続いている。

 久しぶりに趣味が大きく変わって、考えたことがあった。「自分ってそんなに音楽好きじゃないんじゃないか」ってこと。これは多趣味であることのデメリットの1つだと思うんだけど、趣味が多いと、そのこと1つだけに打ち込んでいる人と比べてそれに割ける時間は少なくなる。するとその分野に関する知識とか、技術とかが劣ってしまうのは仕方ないだろう――練習は量より質だと考えてはいるけれど――。そこをどうしても他人と比べてしまうのは人間の哀しい性だなと思いながら。僕個人でみれば、それはまあ時間を重ねた分だけ成長はしているんだろうけれど、相対的に自分の積み重ねたものが拙く見えてしまう。「音楽が好きだ」なんて口では言うけれど、新しい音楽に出会おうとすることはあまり進んでしなかったし、歌とかギターの練習はしていたけれど技術の向上で目に見えるものはなかった。

 僕は「表現をする活動」が好きで、音楽を続けて、それを聴いた人に何か感動みたいなものを届けられたらなんて思っていた。だけど、例えば歌だけに打ち込んだ人が与えられる感動には決して届かないし、「表現」できればそのツールは音楽でも、イラストでもよかったんだなと思って。

 勘違いしたくないのは、そのことは不満ではないということ。まだまだ未熟だけど音楽はやっぱり好きで、それと同じくらいイラストを描くのも好きだ。なんというか、本当にそのことが好きで、一生懸命に努力して知識を蓄えている人とのその「差」にコンプレックスを抱いてるんだと思う。例えば「映画が好き」というけれど、自分の好みの作品だけを観ていて、世間的に有名で人気の作品は観たことがない、みたいな。「それは本当に映画が好きって言えるの?」って問われたときに素直に頷けないような、そんな「好き」の熱量の差がこんな「多趣味であることのデメリット」を考えさせるんだと思った。

 ここまでつらつらと書き連ねてきたけれど先述したように、そのデメリットは僕にとって特に不満ではない。多趣味であることは、それはそれでいいことだと思う。今僕の人生は間違いなく豊かだ。多くの趣味を経験してみて、得られたものは結構多くて。ただ、こんな風に趣味が変わる数か月前までは「このまま音楽を仕事にする可能性もなくはないかな」なんて(軽くだけど)考えることもあったほどだから、音楽から離れる時期が来たことにショックを受けていたんだろう。「表現」に上手いとか下手とか、めったやたらに順位付けするのはナンセンスだと考えているのだけど、やはりどうしても気になってしまうね。

 「好き」の熱量の話はまた別の記事にしようと思う。浅く広くも、狭く深くも、またそれ以外の全てのことにも、メリットやデメリットがあるのは常として。音楽の趣味の波はきっとまた来るだろうから、楽しめるうちに楽しんどこうと思う。

 追記:この記事を思い返してみるとなんだか少し「上手くならないのは多趣味のせい」っていう言い訳っぽくなってしまったから、決してそうは思っていないってことだけ。納得いくまで努力!

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