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【絶叫杯】Hide and Seek, Hunter and Freak.⑦【連載】

 ブルーは壁に掛けられた時計に視線をやった。以前は別に平気だったはずの孤独が今日はやけに深く感じられる。空になったグラスをカウンターに置く。ため息を一つつく。
「セキさんなら来ませんよ」
 後ろから声をかけられる。顔だけ後ろを向ける。険しい顔をしたブランが立っている。
「よお」
「どうも」
「座れよ、いつかの埋め合わせだ」
 声をかけると頷いて、何も言わずにどかりと隣の席に座った。
「今日は暇なのか?」
「まあ」
 ブランはあいまいな声を返すと、マスターに酒を注文する。グラスを受け取り、一口舐める。カウンターに視線を落としたまま、ぽつりと尋ねた。
「聞いてないですか?」
「なにをだよ」
「セキさんのこと」
「なんだよ」
 ブルーは聞き返す。ブランは何も言わない。ブルーは横目で様子を窺う。警察に入ってからずっと変わらない仏頂面。二人の間に沈黙が流れる。
 根負けしたのはブランの方だった。ため息をついて軽くあたりを見回す。誰もかれも陽気そうに自分たちの話に夢中で二人の会話を聞いているものはない。それでもブランは声を落としてブルーに顔を寄せる。
「死にました」
「は?」
 間抜けな声が漏れる。
「自殺だったそうです」
 目を上げず、ブランが続ける。ブルーは視界が少しだけ揺れるのを感じた。酔いのせいではないだろう。
「自分の部屋で、銃で頭撃って」
「聞いてねえぞ」
「人狼がらみじゃないですから」
「そりゃあそうだけどよ」
 再び沈黙。ブランが横目で見ているのをブルーは感じる。
「なんだよ」
「本当に聞いてないんですね」
「ああ」
 ブランは黙り込む。グラスの側面を指先で神経質そうになでる。
「なんだよ」
「手帳が、見つかったんです」
 小さな声だった。喧騒にかき消されないぎりぎりの声。ブルーも同じように声を落として聞き返す。
「手帳?」
「ええ、セキさんの部屋から。そこに……」
「何が書いてあったんだ?」
「自分が人狼だって」
「は?」
 漏れ出た驚きの声は存外大きな声になった。思わずあたりを見回す。数人い客が不思議そうにブルーたちの方に視線をやっている。何でもないという風に頭を振ると、ブランに顔を寄せた。
「なんだよ、それ」
「そのままですよ。自分が人狼だって。それに……」
 再び言葉を切る。ブルーは注意深く続きを待つ。
「やった犯行の計画とか予定とかも」
「あいつが書いたのか?」
「だったみたいです。犯人にしかわからないこともたくさん書いてあって、たぶん本物だと」
 ブルーは額をこすって天井を見上げる。剥製の人狼が笑うように見下ろしている。人間の姿で死んでしまった人狼が本当に人狼だったのかを知る手段はない。けれども、人狼だと判断されたのならば、人狼だったのだろう。
「聞いてねえぞ」
「言えるわけないじゃないですか、警察の内部に人狼がいたなんて。師匠も誰にも言わないでくださいよ」
「ああ、当たり前だろ。こっちの身が危ねえや、そんな話」
 わざとらしく身震いをしてブルーは答える。忍び寄るめまいを振り払うように頭を振り、明るい声を作る。
「じゃあ、式は予定通りに?」
「え、なんで知ってるんですか?」
 ブランが目を見開く。頬がわずかに赤く染まっている。
「ホアンから聞いた」
「あのおっさん」
 口をへの字に曲げてブランが虚空をにらみつける。
「私から招待しようと思ったのに」
「ああ、ありがとう。喜んで招待されるよ」
「どうも」
「今度の金曜だろ?」
「ええ……あ、大丈夫でした?」
 ブランがふと何かに気が付いたように眉を寄せた。
「ああ、事件でも入らなければ来れると思う」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ。いや、そうじゃなくて今度の金曜日って十三日ですけど」
「あー」
 そういえば、と壁に掛けられていた薄汚れたカレンダーを見る。きれいな制服を着た警官隊が微笑んで敬礼している。その日は毎月欠かさず行っていたマロンの月命日だった。
「よく覚えてたな」
「師匠のことですから」
「俺はすっかり忘れていた」
 気まずそうに頬を掻く。
『忘れるとは師匠がいのない弟子だね』
 頭の中でマロンがぼやく。「うるせえよ」と頭の中で言い返す。
「まあ、たまにはいいだろ」
「いいんですか?」
「ああ、いつまでもってわけにもいかねえ」
 責められているような気持になってブルーは目をそらした。頭の中では師匠がニヤニヤと微笑んでいる。「そうですか」とブランは少し不思議そうな目でブルーを眺めた。
「師匠の、師匠さんってどんな人だったんですか?」
「旦那に聞けよ」
「まだ旦那じゃないです。それに師匠からも聞きたいじゃないですか」
「あー、まあ変な人だったよ。酒のみだし、だらしねえし」
「師匠よりもですか?」
「うるせえよ。まあ、資料扱うのとかは得意じゃなかったな」
「へぇ」
「昔気質の狩人で、資料よりは現場って人だった」
「ああ、だから師匠もそうなんですね」
「まあな。だから、ホアンなんかは自分にできないことができるってんで結構買ってたんだけどな」
 本人には言ってない言葉、ホアンがいなくなってから酔いつぶれた師匠が喚いていた言葉。今はそれを言うのにちょうどよい気がした。
「そうなん、ですね」
 ブルーの言葉を飲み込むように、ブランが答える。
「お前はホアンよりだったな」
「ええ、そう思います」
「警官で人狼狩りやるならそっちのほうがいい」
 そうでないやつもいるとブルーは胸の内に思う。セキの熱意のこもった目。ブルーの言葉を逐一書き込む乱雑な手帳。乱雑な手帳?
「おい、ブラン」
 ブルーは自分の目が細くなるのを感じた。
「なんですか、急に」
「お前、セキが残したっていうメモ見たか?」
「え、見ましたけど」
 突然の問にブランは戸惑ったように眉を寄せる。
「読めたか?」
「当たり前じゃないですか、メモなんですから。読めないとしょうがないでしょう」
「ああ、まあ、それもそうだな」
  ブランの戸惑いにブルーは熱くなっている自分を自覚する。浮いていた尻を椅子に戻す。グラスを舐め、一息つく。
「お前が警察に行くって言ったとき、俺が言ったこと覚えてるか?」
「どの人狼も同じってやつですか?」
「ああ、よく覚えてたな」
「師匠の最後の教えですから」
 意外な言葉に目をしばたかせる。咳ばらいをして目をそらして言葉を探す。聞くべき言葉、言うべきでない言葉。酒を一口飲み込んで口を開く。
「もしも、セキが人狼だって前から知ってたら殺せたか?」
「殺せましたよ」
 間を入れずにブランは答える。ブルーはその言葉を聞いて一度、目をつむる。目を開ける。戸惑いは隠せているだろうか。
「私は人狼狩りですし」
 構わずブランは宣言する。その言葉にブルーはにこりと笑う。
「そうか、なら、大丈夫だ」
「なんですか、急に」
「いや、お前がこれからも人狼狩りを続けるなら、それを忘れるなよ」
「はあ」
  ピンとこない様子ではあるけれども、ブランは頷いた。それを見てブルーはもう一度笑う。今度は少しは自然に笑えた気がした。

◆◆◆

「お前、なんで人狼狩りになったんだっけ?」
 事務所机にだらしなく体を預けながら、マロンはろれつの回らない口調でそう言った。ブルーは酔っ払いに一瞬見てから、生贄を探して書類棚の方に目を向ける。そこには誰もいない。ホアンが事務所を去ってからひと月が立ったが、まだ、弟弟子の不在に慣れ切ってはいなかった。ブルーは手の中の分解された銃にぼろきれを突っ込む。
「おい」
 怒鳴りつけられてしぶしぶブルーマロンの方を向いた。
「大事な話だぜ、これは」
「じゃあ、酔っぱらってないときにしましょうよ」
「うるせえな。素面の時にこんな話できるか」
 ブルーの言葉に険しい視線を投げつけてくる。
「こういうのはっきりさせとかねえといざって時に引き金引けねえんだよ」
「へえ」
「だいたい復讐とか言ってるやつはだめだな。そういうやつに限っていつか迷って日和っちまう。そのときが喉笛かみちぎられる時だ」
 ちらりと師匠の方を窺う。酒にぼやけた目は虚空を見つめている。そこにはいない誰かを思い出すように。
「師匠は」
 銃を置いて、ブルーはマロンに向き直る。
「なんで人狼狩りになったんですか」
「なんでだろう。よく覚えてないな」
 マロンは変わらず遠くを見つめながらぽつりと言う。拍子抜けしたブルーは思わず言い返してしまう。
「なんですか、それ」
「他にできることもないしな。生き物追いつめて、ぶち転がして金もらえるなら、こんなに楽なことはねえし、だからやってるのかなあ」
 ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。酒を飲んだ師匠は時々こんな風にいやに内省的なことを言いだすのをブルーはよく知っていた。
「それで」
 ギラリと鋭い目線がブルーを射抜いた。
「お前はどうなんだ?」
 はぐらかすこともごまかすことも許さない狩人のまなざし。
「俺も、そんなもんですよ。他にできることがあるわけじゃないですし。向いてると思いますし」
 飲まれまいと努めて軽い口調でブルーは答える。嘘ではない。ごまかしでもない。人狼狩り以外の生き方をしている自分は想像できなかった。
 マロンがじっとブルーの目を見つめる。目をそらすことができず、ブルーはその目を見返した。
「そうか、その方がいいよ。そんぐらいの理由が」
 そう言うとマロンは欠伸をして重ねた腕に顎を乗せた。そのまま「そういえば」とぼんやりと呟く。
「あいつはなんで人狼狩りになったんだろうな」
 その目線の先にはきれいに整頓された書類棚があった。

◆◆◆

 ざくりと土にシャベルの先が食い込む。足で踏みつけてより深く地面に飲み込ませてから、てこの原理でしゃくりあげる。新しい土の重みがブルーの腕にかかる。夜の闇の中、うずたかく積まれた土の上にシャベルの中の土を加える。
 目の前の石碑には『勇猛なる警官 セキ』と彫り込まれている。「勇猛だったことは間違いないか」とブルーは独り言ちる。警察の世間体のためだろうか、手帳の件は表には噂さえも出回っていない。
 それが真実だったのかどうかは警察の関係者ではないブルーには確かめる術のないことだった。
『でも、だからってそんな墓泥棒まがいのことをするかね』
「俺は人狼狩りだ」
 頭の中でにやにや笑いを浮かべる師匠に、ブルーは答える。
「あんただって同じことをするだろう?」
 ブルーの問いにマロンは『どうだろうね』と笑って搔き消えた。
 セキは本当に人狼だったのだろうか? ブルーはその問いに答えを出せないでいた。生前のセキにその正体を疑わせる要因はなかった。人狼狩りであるブルーの目はそうそう逃れられるものではない。
  人狼の証拠とされる手帳についてもブルーは違和感を拭えずにいる。ブルーはその手帳を見てはいない。人狼事件の証拠品を人狼狩りであるブルーに見せないというのもおかしな対応だった。ブランやホアンにそれとなく掛け合ってみたが、曖昧にはぐらかされるばかりだった。
 となると真実を見つけるための手段はさほど多く残されていない。
 こつん、とシャベルの先が堅いものに当たる。垂直に掘り進めていたシャベルを、水平方向に滑り込ませ、穴を広げていく。
 ほどなく真新しい棺が現れた。黒く塗られた木製のシンプルな棺だ。ふたの上の土を払う。深く息をしてふたを開ける。
 棺の中で眠るように目をつむるセキを見て、ブルーは息を呑んだ。
 さほど崩れていないその死体の死因は明らかだった。ぎりっと懐の銃を握る。
 頭部に銃創はない、首元が大きく切り裂かれている。その傷口はブルーには馴染みがあるものだった。

◆◆◆

「よお、面白いところで会うな」
 墓場を出たところで声をかけられた。びくり、とブルーの体が緊張する。警戒を解かず、振り返る。
 私服のホアンが驚いた顔をして立っていた。その顔を見てもブルーの緊張は消えない。喉のひりつきをごまかすようにゴクリと唾を飲んで、口を開く。
「お前か、びっくりさせるなよ」
「なに驚いてるんだ?」
「いや」
 ブルーは口の中で曖昧に答えて目を逸らす。その様子をホアンは不思議そうな表情で見ている。気まずさを咳払いでごまかして、ブルーは尋ねる。
「どうしたんだよ、お前はこんなところで。明日の準備はいいのか?」
「あー、まあ、そのためによ、ちょっと師匠に挨拶しとこうと思ってよ」
「ああ」
 ホアンの言葉に納得の声が漏れる。
「覚えてたんだな、師匠のこと」
「そりゃあ、師匠だからな」
 意外そうなブルーの表情がおかしかったのか、ホアンは破顔する。つられてブルーも笑ってしまう。やけに高まっていたこわばりが馬鹿げたものに思えてくる。
 ホアンの肩を叩いて笑う。
「じゃあ、一緒に行ってやるよ。どうせ師匠の場所なんて覚えてないだろ」
「そんなことはねえよ。でも、まあ、ついてくるなら止めないぜ」
「わかったわかった。二人でいこぜ」
 ホアンの目が泳いだのを見逃していないのを強調しつつ、ブルーは墓場の方へ向き直る。背後への警戒を完全に消し去ることはしないままに。

【続く】

今週中にラストシーンをかいて加筆修正を始めます。

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