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【絶叫杯】Hide and Seek, Hunter and Freak.⑧【連載】

「あーちょっと散らかってきてるな」
 ホアンは混沌の戻りつつある事務所を見回して首筋を掻きながら言った。
「これでもだいぶ保ってる方だぜ」
「だろうな」
 言い訳がましくそっぽをむくブルーを見ながら、ホアンは笑いを漏らして書類棚を撫でている。縦横に乱雑に突っ込まれた資料はまだ本棚に収まっている。
 師匠の墓参りを済ませた後、ホアンを事務所に誘ったのはブルーの方だった。人狼狩り課が本格的に始まって以来、ホアンは事務所に来ることが少なくなっていた。
「お前が誘うのは珍しいな」
「そうか?」
 書類の積み上げられた事務机に座り、ブルーは眉を上げた。
「お前が勝手に来てたからそう思うだけじゃねえか?」
「まあ、それはあるな」
「師匠がいる間は来なかったくせに」
「それは、当たり前だろうが」
「師匠は恋しがってたぜ」
「どうだか」
 書類棚を見回していたホアンの目が止まる。その視線の先には埃だらけの写真立て。師匠に肩を組まれて幼いホアンとブルーが仏頂面を向けている。
「警察になったの、後悔してないか?」
「後悔? なんでだよ」
 ブルーの言葉にホアンは心底不思議そうな顔をした。
「あのまま師匠の下にいても、おれは師匠は越えられなかった」
 ホアンはわらって言葉を続ける。
「人狼狩り課はそのうち師匠よりもたくさん人狼を仕留める」
 もちろんお前よりもな、とホアンはブルーを見つめながら付け加えた。
「首輪つきの狩人か」
「その方が確実に狩れる」
「まあ、そうかもな」
 ホアンの言葉にブルーは頷く。目の前の机の上の資料をぼんやりと眺める。人狼狩り課ができてからは狩られた人狼は急増していた。狩り出す人員が増えたのだから当然だ。隠れていた人狼も。
「そのうち全部狩り尽くされちまうな」
「ああ、そのうちな」
 ブルーの言葉にホアンはニヤリと笑う。ブルーは顔をしかめて、手持ちぶさたにパラパラと資料をめくる。その手があるページで止まった。拳楼会の事件の記事が張られたページ。大きな写真が載っている。ホアンとブルーとセキとブラン、四人が緊張した面持ちをカメラに向けている。
「セキは残念だったな」
「ブランから聞いたのか?」
「ああ」
「機密情報を漏らしやがって」
「遅かれ早かれ知ってたさ、人狼がらみの話だ」
 ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。ほんの僅かな間、それを取り繕うようにホアンは低く言う。
「ああ、そうかもしれないな」
 ブルーは間に気がつかない振りをして続ける。何気ない口調を装う。
「メモが残ってたんだって? そんなまめなやつだったとは思わなかったよ」
「おれもそんな印象はなかったが、あれもわざとだったのかも知れねえな」
「そうかもな」
 ブルーは食い下がらずに言葉を切る。ホアンはどこかおちつかなげにカリカリと首筋を掻いている。ブルーはさっき墓場で見たものを思い出す。セキの死体、きれいな頭骨、引き裂かれた傷。見慣れた傷。
「セキは」
 口から言葉が漏れる。ホアンが目をあげる。ためらい。言葉は続く。
「本当に自殺だったのか?」
「ああそうだ」
 間髪を入れず、ホアンが答える。その目の中の厳しさはなんだろう。怒りか、疲れか、それとも恐れか。
 ブルーの鼻がくん、と鳴る。ここが境目だと狩人の勘が告げる。ここで引き下がれば何も起こらない。ビエールイの言葉を信じて警察の善良な暴力を見過ごしてもいい。
 けれども、とブルーは自分の中に問いかける。お前は何者だと。セキの熱意に満ちた目が記憶の中に閃く。生首になった師匠の笑み、胴の傷、その傷跡はセキの傷と重なる。どうすればいい? 師匠に問いかける。生首になった師匠は何も答えない。
「どうした?」
 ホアンが尋ねる。その目に映るブルーはどんな顔をしているのだろう。結局のところ、ブルーは思う、自分は
「狩人だ」
「なんだよ」
「セキの傷は人狼にやられた傷だったぜ」
 なるべく、鋭く言い放つ。ホアンの目が細められる。
「見たのか?」
「掘り起こしてな」
「墓荒しかよ」
「狩人だからな」
 ブルーの言葉にホアンは、そうか、と頷く。ブルーはホアンを視界の隅にとらえたまま続ける。
「なぜ隠した?」
 ホアンは本棚にもたれたまま、ため息をつく。
「やつに全部おっかぶせられれば良かったんだがな」
「あ?」
 とつとつとホアンは語り始める。
「警察に人狼狩り課ができて、人狼を飼い続けるわけにもいかなくなってな。かといってだんまりにしておくには警察に都合のいい人狼事件が多すぎた」
「人身御供か」
「あいつが悪いんだぜ、ビエールイのこと嗅ぎ回ってよ」
 ブルーは表情が曇るのを止められなかった。セキがビエールイを怪しんだのは自分の態度がきっかけに違いない。
「間がよかったのか、悪かったのか、あいつが殺されることになって、じゃああいつにおっかぶせることになったんだよ」
「ずいぶん詳しいな」
「まあな」
 それに、とブルーは体を緊張させる。懐にそっと手を入れる。
「ずいぶん詳しく教えてくれるんだな」
「ああ、そりゃあ」
 ホアンはそこまで言ってそっと目を閉じる。すぐに目を開く。ブルーを見据える。本棚に預けていた体を一歩前に進ませる。
「お前はここで死ぬからな」
 ホアンの体が膨れ上がった。手足の筋肉が盛り上がり、ゴワゴワとした毛皮が皮膚を突き破って現れる。口吻が伸びその顔が獣の様相になる。
 どこか予測していた変身。気配を感じて、ブルーは椅子ごと後ろに倒れる。ブルーのいた場所を黒い風が通りすぎる。積み上げられていた書類が一瞬で引き裂かれ部屋中に飛び散る。
 ブルーは転がりながら、銃を抜き、引き金を引く。轟音。銃弾はホアンを掠め壁に穴を開ける。ブルーは体を起こし、ホアンに狙いを定める。ホアンは腕を振り上げたまま動きを止める。
 ブルーも引き金を引けない。両者の距離は三メートルにも満たない、もしもこの一発をはずせば、ホアンの一撃は次弾を打つよりも早くブルーを引き裂くだろう。
「お前が、人狼だったのか」
「ああ、残念ながらな」
 獣の口からしわがれた声がする。その口を見てブルーは息を飲む。それは五年間想像し続けた牙、師匠の傷をつけたであろう形が実態となってそこに並んでいた。
「まさか、師匠を殺したのは......」
 目をそらさず、ホアンは答える。
「俺だよ」
「なんで」
「あいつは、おれの父親と母親を殺した。平和に暮らしていた俺たちを容赦なく。二人が俺だけを逃がしてくれたんだ。だから、おれは......」
「そうか」
 ブルーは冷たく言い放つ。自分でも奇妙に思うほど冷静だった。息を吸い、吐く。静かな心の中に熾火のような高揚が芽生える。人狼を前にしたときの胸の熱。ホアンが目を上げる。二人の目が合う。
 頭の中の師匠は何も言わない。聞くまでもない。教えられたことは頭に刻み込まれている。どんな人狼も区別しない。師匠と弟子の仇でも。弟子の婚約者でも、旧友でも。
  だから目の前にいるのはホアンではなく、ただの一匹の人狼だった。人狼の大きな目の中に映っているのも一人の狩人。ああ、こいつはこんな姿になっても師匠の言葉を覚えているんだ。
 口許がほころぶのを感じる。人狼の大きく裂けた口の端もつり上がっている。
「ああ、そうだな。俺たちは結局――」
 人狼と狩人の視線がぶつかる。
 そこに浮かぶのは怒りか笑みか。
 カウントはいらない。
 同時に爪が振りかぶられ、引き金が絞られる。
 二人の口から咆哮がほとばしる。獣と狩人は互いの名を叫ぶ。
「ホアン!」
「ブルー!」
 闇夜に二人の叫びがこだました。

◆◆◆

 ブランがブルーの事務所に行こうと思ったのは、特に理由はなかった。翌日の宴会を前に、師匠に話をしておきたいと思ったのかもしれない。あるいは彼女自身はナンセンスだと笑うかもしれないが、狩人の勘、のようなものが働いたのかもしれない。
 ともあれ、彼女はもはや懐かしいという感情を抱きながら、事務所の扉を開いた。事務所の中を見たブランの時間が止まる。
「師匠?」
 事務所の椅子の上でこちらに背を向けて座っている。呼びかけに答えはない。
 一歩踏み出したブランの足に何かやわらかいものが当たる。重く湿った感触。見下ろす。長身の男で外套を着ている。右手には銃を握っている。古く重たそうな銃。銃口からは煙が上がっている。その男に首はなかった。
「師匠?」
 椅子に向き直る。ゆっくりと椅子がこちらを向く。椅子に座っているのは人狼だった。その膝の上で首だけになったブルーが眠るように目をつむっている。
 光景を理解する。ブランの血液が瞬時に煮えたぎる。
「貴様!」
 人狼が顔を上げる。黒い毛におおわれた顔。右目からだらだらと血を流している。残った左目がブランの姿をみとめ、見開かれる。
「お前は」
 しわがれ歪んだ声が人狼の口から洩れる。
「貴様がやったのか」
 震えを隠し、ブルーの体を指す。人狼はそれをぼんやりとした目で見る。大きな目が閉じられる。すぐに開く。口元が吊り上がる。
「ああ、そうだ。俺だ。俺がやった。お前の師匠を殺したのは、この俺だ」
 あざ笑うような口調で人狼が言う。ブランは息を吸い、吐く。腰に手をやる。何もない。
「そうか。なぜ殺した?」
 ブランは目線を合わせたままブルーの傍らにしゃがみこむ。人狼は右目から血を流しながら言う。赤い涙のようにも見える。
「なぜ? 人狼が人を殺すのに理由がいるか? お前たちは人狼を理由なく殺すのに」
「お前たちが人を殺すからだ」
「そうだろうともさ」
  さりげなく、人狼に気づかれぬようにブルーの手から銃を抜き取る。鉄の重さを手の中に感じる。銃を持ち上げる。がちりと撃鉄を起こす。
「ほう」
 人狼が声を上げる。
「俺を撃つか?」
「脅しのつもりはない」
 人狼はにやりと笑う。ブルーの首を机の上に置き、立ち上がる。ひと際その大きさを感じる。ぎらりと牙が光る。
「撃ってこい、それがお前たち人狼狩りだろう?」
 人狼が大きく手を広げる。ブランはまっすぐ心臓に銃口を向ける。頭の中にブルーの顔がよぎる。人狼を狩ることを何か言っていただろうか。ブルーは何も言わない。
 振り払い、引き金を引く。轟音。反動で銃口が跳ね上がる。人狼の背後で窓ガラスが割れる。人狼がにやりと笑う。ブランは身構える。飛び掛かっては来ない。
 ふわりと存外に身軽な動きで人狼が窓枠に乗る。目元の血をぬぐう。その顔は笑っているようにもないているようにも見える。
「逃がすか!」
 ブランは銃を構え直し、撃鉄を起こし、引き金を引く。轟音、反動。外れる。舌打ち。撃鉄を起こし、狙いを定める。引き金を引く前に人狼が姿を消す。窓に駆け寄る。外を覗く。街灯の切り開く闇の中、黒い影が駆けていく。狙いを定める間に、人狼は闇の中に姿を消した。
「クソ!」
 ブランは地団太を踏んで罵りの声を上げる。部屋の中に向き直る。机の上でブルーが目を閉じている。その穏やかな顔に語り掛ける。
「師匠、仇は私がとりますから」
 決意の言葉。ブルーは何も答えない。

 その夜、一人の人狼狩りが死に、一人の人狼狩りが生まれた。

◆◆◆

 獣が夜闇の町を駆ける

 ああ、そうだ。
 追ってこい。追ってこい。俺を殺そうと追ってこい。
 いつかお前は俺を殺すだろう。それとも俺はお前を殺すだろう。
 殺すのはお前の子か俺の子かもしれない。
 死ぬのはお前の子か俺の子かもしれない。
 それでいいのだ。それがいいのだ。
 俺達にはそれしかないのだ。
 永遠に
 追って追われて、殺して殺されて死んで死なれるのだ
 だから、今は俺を追ってこい。俺を殺そうと追ってこい

【おわり】

とりあえず完結です。思い描いていたラストには到達しましたが、道中ちょっと納得はしていないので、書き直します。今月中に。

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