vol.7 キュアストライク現場に初参戦
「今日は浮世のことなんて全部忘れて、ぶちあがっていってねー」「うぉぉぉお!」
分厚い扉を突き抜けて、ホールの歓声がロビーにまで響いた。その勢いにつるぎこは扉に伸ばしかけていた手をひっこめる。もう何度目だろう。
「だってダイゴロウ、これって入って大丈夫なやつ?」
つるぎこはダイゴロウに話しかける。つるぎこが魔法少女キュアストライクとして覚醒したときに現れた謎の精霊だ。つるぎこに力を与えた女神を含め、誰にも見えない彼女の相棒だ。
「いや、たぶんここだとは思うんだけど。でも、あの人結構ラリってたから……いや、怖いとかじゃないんだよ」
「なにやってんの?」
「うわっ!」
突然声を掛けられ、つるぎこは飛びすさった。反射的にポケットの中のボールに手が伸びる。
「なになになに」
つるぎこの大げさな反応に相手は呆れたような声を上げる。声の主は所々に大きな穴の開いた黒い服を着た少女だ。その輪郭の曖昧な右腕と青白い顔に、つるぎこは見覚えがあった。
「お前!」
「あ、君は確か……なんだっけ」
頭を掻きながら少女はつぶやく。彼女の名はキュアドレイン、つるぎことは魔法少女として何度か刀を交えている仲だ。
「キュアストライクだ」
「あー、そんな名前だったね、そういえば。で、なにしてんのこんなとこで」
「なんでもいいだろ」
キュアドレインの尋ねる声が、あまりに興味なさげなのでつるぎこはついそっけなく返してしまう。
「それもそっか」とつぶやくと、キュアドレインは身構えるつるぎこの脇を通り抜け、扉を開けようとする。
「あ」
「なに」
つるぎこは思わず声を漏らす。キュアドレインが振り返る。
「いや、今入って大丈夫なの」
「もしかして、初めてなの? こういうとこ」
「うるさいな」
「一緒に行く?」
そっぽを向く、つるぎこにキュアドレインは扉を示す。つるぎこは渋々頷いた。
扉の中に入ると轟音はひときわ大きくなった。けたたましいギターが、うねるベースが、地の底から響くようなドラムが、音というよりもむしろ衝撃となってつるぎこを襲った。
観客たちは熱狂的にステージを見つめ、腕や頭を狂ったように振っている。音と熱気に当てられ、つるぎこはめまいを感じた。壁に寄りかかる。キュアドレインが面白そうに見ているのにつるぎこを見ている。なにか口を動かしているが、轟音にかき消されてなにを言っているかはわからない。
曲がいっそう盛り上がる。 リズムと旋律が絡み合い大きなうねりとなって会場内に響き渡る。その上を跳ねるようにボーカルの歌声が駆け回る。つるぎことさほど年は離れていないように見えるが、そうとは思えないほど力にあふれた歌声だ。
突如、伴奏が途切れる。ボーカルの歌声だけが残される。最後の一息が吐かれ、一瞬の静寂。拍手と歓声が会場を呑み込む。ボーカルがマイクに向かって叫ぶ。
「サイコーだな! お前ら、ちょっと疲れた! 少し休ませろ。お前らも少し休んで酒でも飲んで売り上げに貢献しろー!」
客席から笑いが舞起こり、ボーカルは舞台からはけていった。
熱気冷めやらぬ客席の後方で、つるぎこは息も絶え絶えな様子で壁にもたれていた。キュアドレインはにやにやと面白そうに眺めている。
「どしたの?」
「知らないけど。なんかすごいな」
「でしょ」
なぜか得意気な顔が腹立たしいが、言い返す気力もなくつるぎこは適当に頷いた。
「なんか飲む? 奢るよ。初ライブ記念」
キュアドレインの申し出につるぎこはひどく珍妙な顔をした。キュアドレインが何かを買う、それも人のために買うだなんてひどく奇妙なことに感じられた。
「失礼な。私だって買いたいものは買います」
連れ立ってバーカウンターに行くとボーカルの煽りのお陰か随分と賑わっていた。人混みを眺めていると、ダイゴロウが何かつるぎこに囁いた。
「ああ、そうか。そうかもね」
「うん?」
つるぎこがダイゴロウと話すのを見て、キュアドレインはさほど不思議に思うでもなく聞き返した。見えないものと話すのはこの町では珍しいことではない。
「いや、クスリのことお店の人が知ってるかなって」
「あー、どうかね」
キュアドレインの答えを聞く間もなく、つるぎこは人混みをすり抜けカウンターに取りついた。そこでは笑顔を固めたような男性スタッフが、ドリンクを作り続けていた
「すみません」
「ちょっと待ちなよ」
制止するキュアドレインを無視してつるぎこは続ける。
「テンシノコエってありますか?」
「テンシノコエですね。少々お待ちください」
スタッフは変わらぬ笑顔で答え、つるぎこの目が見開かれる。
「それからメデューサドッグ一つ」
スタッフに襲いかかろうとするつるぎこの手を抑え、キュアドレインは注文をした。
「かしこまりました」
スタッフは笑顔のまま答える。つるぎこはキュアドレインの抑えを振りほどこうとするが、やけに重たい。
「離せ」
「私の来るまで待ってよ」
二人の問答を気にする風もなく、スタッフは酒を作り続ける。
「お待たせしました、テンシノコエとメデューサドッグです」
「はーい、ありがとうね」
キュアドレインがカウンターに何枚か硬貨を置き、二つのカップを受けとる。
「こっちかな」
キュアドレインはその内の一つをつるぎこに渡す。
「これが?」
「ここなに頼んでも同じのでるから 」
しれっと答えるキュアドレイン。確かに二つのカップに入った液体は全く同じ濁ったドブの色をしている。
「お前、知ってたのか」
「聞かなかったのはそっちでしょ」
睨み付けるつるぎこの視線を受け流し、キュアドレインはカップに口をつける。
「不味いなー、相変わらず」
顔をしかめながらも、ちびちびとすすっている。
その顔はいつもの韜晦ではなく本当に不味そうな表情だった。つるぎこの中で興味が、怒りを上回った。
「そんなに不味いのなら、なんで飲む?」
キュアドレインはしばらく考えて、一口飲んで、答える。
「この不味さが癖になる」
「なんかヤバいの入ってんじゃないの?」
「私、そういうの効かないからな。飲んでみれば?」
言われて、つるぎこは手の中のコップを見つめる。見るからにドブの色をしている。香りも大差ない。怪しいものを飲むのは魔法少女として迂闊だろうか?
「怖いなら飲んであげるけど」
逡巡するつるぎこにキュアドレインが声をかける。
「誰が怖いか!
」言ってつるぎこは一息に液体を呷る。口内にドブの香りが広がる。熱を持った液体が喉を伝い胃に落ちるのを感じる。たちまち胃から熱が体内に拡散する。その黒い熱は肺を焼き、目を焼き、脳を焼く。
「おお、いったね」
囃し立てるキュアドレインの声が遠くに聞こえる。
「こんなのぜんぜんこわくないし」
強がる声が自分の声でないような気がする。
「あれ? なんかふわふわする」
「そりゃ、いきなりそんなに飲んだらそうなるよ」
「だましやがったな。どうするつもりだ」
「騙してはいないし、どうするつもりもないよ」
つるぎこはなんとかポケットからボールを取り出すが、そのボールが3つにも6つにも見える。
多ければその分当てやすいかとキュアドレインを探す。どうしたことか4人、いや8人、16人に増えている。
「なんだおまえふえやがってひきょうだぞ」
つるぎこは目を凝らし、とくに陰険な顔をしているキュアドレインにボールを投げつける。ボールは明後日の方向に飛んでいき、柄の悪い男の持つカップを叩き落とした。
「おいこら、てめえなにしやがる」
男はボールを拾い上げるとつるぎこに向かって投げつける。
男が飲んでいた液体の影響か男の元々のコントロールの影響か、ボールはつるぎこをかすめ、また別の男の顔面に直撃する。たちまち始まる大乱闘。乱闘が乱闘を呼び客席の一画は大混乱に陥った。
制止しようと近寄ったスタッフも巻き込み、混乱は広がっていく。つるぎこはその中心で物や人を四方八方に投げつけている。キュアドレインはゲラゲラ笑いながら、そこらの客の足を引っ張ったり、後ろから押したりして混乱を加速させている。
と、その時客席の前方でどよめきが上がった
いつの間にか舞台上にボンドメンバーたちが再び登場していた。ボーカルは客席の混乱を眺めると、マイクを握って叫んだ。
「なにしてんだ! お前らー!」
暴徒と化していた客たちは、その声に一斉に動きを止め、ステージに顔を向けた。
「ケンカなんてつまんねーことしてねぇで、私の歌を聞け!」
ボーカルが叫ぶと、ドラムがリズムを刻み始める。ギターがメロディを奏で、ベースがうなり声をあげる。そして、ボーカルが歌い始めた。
はじめは静かだった曲調が次第に絡まり合い、徐々に激しくなっていく。観客たちは掴み合っていた襟首を離し、ステージに向き合い、殴り合っていた拳を天井に向かって突き出し始めた。怒号はいつしか、合いの手と歓声に変わっていった。
熱狂者の中にはつるぎこもいた。ドブ色の液体のなせる技か、我を忘れたように観客の中に一体となって拳を突き上げている。キュアドレインはそれを少し不思議そうに見ていたが、やがて観察に飽きると熱狂に身を投じた。
「御馬ヶ時お宮でした。今日はみんなありがとー!」
アンコールが三曲終わり、挨拶を叫ぶと、万雷の拍手の中バンドメンバーは舞台から去っていった。観客たちは先ほど殴り合っていたことなど忘れたかのように、見知らぬ隣の客と感想を言い合いながら帰路へと就いた。
つるぎことキュアドレインも例外ではない。二、三杯ほどドブ色の液体を補給した高揚感のまま、何かを忘れているという気分さえ忘れ、夜の町に消えていった。
翌朝、つるぎこは自分が酒場アンディフィートの店先でキュアドレインともたれ合いながら眠っていたことに気がついた。昨夜の記憶はほとんどない。激しい頭痛と吐き気だけが残っている。壁に捕まりながら、なんとか立ち上がる。キュアドレインは眠ったまま満足そうな様子で地面に転がった。
よろよろと店内にはいると、迷惑そうな顔で起きてきた店主に水を注文してカウンターに崩れ落ちた。つるぎこはしばらくあのドブ色の液体は飲まないと堅く誓った。
書きました。
劇中で呑まれている液体は、ドブヶ丘で生産される何かよくわからない液体であってお酒ではありません。そのため、この物語に飲酒をする未成年はいません。
よし、的確な状況説明が完了した。
以下は重要でない話。
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