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書かなきゃなあって思う、でも手が動かない

先日、大失敗した。

もしかしたら、経験したことがある人もいるかもしれないけれど

MTGで。言いたいことが全然伝わらなかったのである。

自分が一生懸命考えていったアウトプットだったからこそ、想いを込めて持っていったアウトプットだったからこそ、凹んだ。

落ち込んだ。

MTGに参加していたメンバーと場を改めて、わたしは本当はなにが言いたかったのかを話しつつ、わたしはどうすればよかったのか、なにがいけなかったのか、今後どうしていけばいいのか、を議論した。

そこで気づいた。

圧倒的にわたしは自分がなぜそう考えているのか、を説明する力が足りないのだ。

なぜなら、ずっとそれを避けてきたからだ。

どうしてそう思うのか、を説明してしまうと、わたしが世界をどう捉えているのかを丸裸に説明しないといけないようで、辛いのだ。

見られたくない。

教えたくない。

そりゃあ、心にそんな想いがあれば、わたしの考えていることなんて伝わるはずはない。

それに、もはや自分でも何を考えているかわからなくなっているのだ。

どんどん難易度が上がっている。


「自分の好きなことを発信するほど、自分がしたい仕事が寄ってくる」のと「発信するほど、その領域についての知見が集まってくる」ので、相乗効果がでかい。だから、「自分の考えを常に発信」しておくといいよ。

ある先輩に、そう言われた。そりゃそうよねえ。そうよ。

自分が得意なこと、自分のすきなこと、やりたいことを発信していたらその情報は集まるよね。

自分の考えていることを普段から発信しておくと、物事がうまくいくよね、そうよね。

わたしもそう思う。

保育園のお迎えにきみと一緒に行ったら、優くんがさくら組のあたらしいお部屋にあるものを、一つ一つぼくに教えてくれました。
モデルルームの営業マンみたいだなぁ、なんておもいながら聞いてたけど、きっとお父さんに伝えたいんだろうね。
優くんと一緒にいると、伝えたいという気持ちが人間の本能であることに気づきます。
ぼくは芸術の根底は伝えることだと思っています。
人は伝えるために芸術をつかいます。芸術はあくまで手段で、伝えることが目的です。
優くんが今日保育園であった楽しかったことも、嫌だったことも、なんでもかんでも伝えようとするのは、ぼくたちに知ってほしいという本能です。

育児ってこういうことでいいんだ|幡野広志 連載「ラブレター」第15回より

伝えるということは人間の本能らしい。

そうよねえ。だってわたしだって自分の考えてること、知ってもらって共感してもらえたら嬉しいもの。

だから、書かなきゃなあって思う。書きたいって思う。

でも、それを拒む自分がどこかでいるのだ。

ああ、書きたい

でも、書きたくない。

そう思ってこれを書いた。



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