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【ネタバレ注意】映画「ドライブ・マイ・カー」考察

ドライブマイカー、とてもすごい映画でした。

あまりによかったので、観た後に色々考えてみたことを綴ってみました。

そんな意味もあったのかも、と面白く読んでもらえたら嬉しいです。

他にもこんな読み取り方もできる、というものがあればコメントで教えてください😌


■考察

・加福は音のことを深く愛していたが、音の運転だけは好きではないと言っていた。その言葉には、どんな意味があるか?

自分(加福)が大事にしてるものである車を大事にしてくれない、つまり音が大事にしてるものでかる、加福を大事にしてくれないところ、を表しているのでは。

みさきが車を大事にしている点と対照的に描かれていることから考えました。


・音の話していたストーリーの意味とは?

「殺したのはわたしだ!」と何度も話していたこと、そのストーリーの先をタカツキにしか話していなかった点などから、加福には話せてない音の娘への気持ちだったのではないか。

・ドライブマイカーの中での「運転」が持つ意味とは?

自分の人生のコントロールの仕方を表しているのではないか。

音のストーリーの中で、音の好きな人は、母親にコントロールされていると言っていた。

これは、加福は自分が傷つかないようにコントロールしているということを意味していたのではないか。加福は「うまく」運転している。

また、自分の車の運転をみさきには渡さず、執拗に自分でしたがったのは、自分の人生の主導権を他人に握られることへの嫌悪感を意味しているのかもしれない。

一方、タカツキは自分をうまくコントロールできず、人を殴打して最後に捕まる。運転という意味でも、事故を起こし、最終的に自分で運転をしなくなる。

音は、運転中、自分のタイミングで車線変更をする。人生という意味でも、自分の心に素直に?色んな男性と時間を過ごしていく、

みさきは、眠っている母親を起こさないという目的のもと、そうせざるを得ない状況で、結果的に快適な運転をしている。人生としても、車が壊れたという理由で、仕方なく広島で、それしかないからドライバーの仕事をしている。

最後の韓国での運転をしているシーンは、そんなみさきの変化を表しているのかもしれない。


・最後のシーンで、みさきはなぜ加福の車に乗っていたのか?

加福の緑内障が進行し、車をもらった?
緑内障の設定はなぜあるんだろう、と考えてこの結論に。

・この映画のテーマの一つは、言葉以外での表現なのではないか

人は嘘をつくからよく見極めると言っていたみさきの言葉、戯曲を言葉の通じない者同士で3カ国で行っていたこと、最後が手話での戯曲のセリフであること、セックスしないと伝わらないことがあると言っていたタカツキの言動。

・この物語のみんなが殺したのはわたしだと言っている

みさき→母

タカツキ→写真を撮っていた人?

加福→音

音→娘

ここから何か意味が想像できそうだが、今はわからない。


自分が考えたのはこのぐらいです。

芝居も、脚本も演出も素晴らしい作品でした。ありがとうございました

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