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【どうしても数学が分からなかった人へ】 数学の証明問題を国語的なアプローチで解く方法とは?

もし仮に、学校の勉強で「1番嫌いな科目は?」と聞かれた場合、おそらく数学と答える方が多いかと思われます。

私自身、数学というものが全く理解できませんでした。そのため「消極的に」文系に逃げたクチです。そして、おそらく私と同じような選択をした方も多いのではないでしょうか?

証明問題が分からない…

ちなみに算数が得意かどうかといわれた場合、どうでしょうか?もしかしたら得意と答える方も多いのかもしれません。ちなみに私自身、算数は得意でした。なので中学生になって数学になっても得意科目になると思っていたわけです。

しかし実際は全く逆で、数学が全く分からない。それでも単純な計算問題、例えば連立方程式等であれば何とか解けるわけです。しかし、証明問題となると全く分からない…

おそらく数学で挫折した方の多くが私と同じような状態であると考えられます。

数学も国語も分からない…

ちなみに国語も非常に苦手でした。どれくらい苦手かといいますと、

高校最後の模試の偏差値が32

受験を経験された方であれば、これがどれほど異常な数値なのか理解できると思います。ちなみに全く勉強しなかったかというと、そうではありません。例えば勉強そっちのけで部活動に打ち込んだとか、あるいは非行に走っていたとか、そういうことは全くなく、むしろ普通の人よりも勉強量は多かったくらい。

その証拠として、漢字の書き取りは満点でした。そして、この漢字の点数分である10点が模試の点数(150点満点)の全てだったわけです。

小論文で身に付けた「連想脳」とは?

転機となったのは予備校の小論文講座でした。小論文、というと非常に難しいイメージがあるのですが、これを「連想ゲーム的な思考方法」で考えることにより、思ったよりも簡単に書けるようになるという内容で、これをきっかけに文章が書けるようになったわけです。

それだけではありません。文章が書ける。即ち「問題文」となる文章が書けるようになった事で、

出題者の気持ちになって考える事が出来るようになった

結果、現代文でも点数がとれるようになったわけです。

実は証明問題って「国語」なのでは?

小論文の思考方法で現代文の出題者の意図を理解できるようになった結果、国語の点数が飛躍的に伸び、無事大学に合格することが出来ました。

また文章を自由に書ける能力を身に付けたことで、大学ではレポートから卒論まで全く苦労することがありませんでした。そんな中、ふと思ったことが、

数学の証明問題って実は国語なのでは?

ということです。例えば正三角形というものを連想ゲーム的な発想で考えてみる。

正三角形

三辺が等しい

三つの角度が等しい

2つの角度が60度で等しい

残りの1つの角度も等しい


このような連想を連ねて行くことで、証明に辿り着くという考えです。例えばこれを文章にするとどうでしょうか?

正三角形といえば三辺が等しい。これは辺の長さのみならず、角度も等しいということだ。ちなみに二辺がそれぞれ60度であるということは、残りの1辺も60度である。即ち3つの角度が等しいということになる。3つの角度が等しいということは三辺の長さも等しい。即ち三角形のうち、2つの部分の角度が60度であるということは正三角形なのである。

このような感じで、数学の問題を「小論文的に」考えてみる。すると、今までは図形を見ただけで全く理解できなかった問題が、

文章に起こしてみる事で、証明に至るまでのプロセスが掴めるようになってきたわけです。

むろん、前述の内容は非常に簡単な内容で、これだけで証明問題が解けたとか、あるいは数学が出来るようになったというには早いのかもしれません。

しかし、これをベースにして、様々な図形を「文章化」してみる。そして文章化した問題を再び「図に書いてみる」…この作業を繰り返していくことで、次第に証明問題が理解できるようになってきました。

なぜ、数学教師はこれを教えてくれなかったのか?

むろん、私は数学が大の苦手でしたし、周囲の人間はもちろん、親や教師も私の事を「数学が出来ない子」と思っていました。

しかし、その原因を単に「数学嫌い」「文系」というのではなく、実は国語力の理解で何とかなるというアドバイスをもらえれば、事情は全く違っていたのかもしれません。にもかかわらず、何故それを教えてくれなかったのか?

数学教師だけではありません。国語教師もまた、数学が出来ない生徒を数学ではなく、国語の問題だと知り、国語力を付ける事の必要性を何故教えてくれなかったか…

おそらく問題は「教員免許制度」にあるのではないでしょうか?例えば数学教師は国語を教える事が出来ません。もし仮に、前述のような「数学が理解できないのは国語の問題」と分かっていても、それを教える事は出来ない。何故なら、

数学教師は国語の教員免許を持っていないから

です。

逆も然りで、国語教師が「数学が苦手な生徒」に対し、数学よりもまず、国語力をしっかりと身に付けた上で、国語的なアプローチで数学の問題を解く方法を教えた場合、どうでしょうか?当然ですがこれもNGです。理由は当然、

国語教師は数学の教員免許を持っていないから

です。

学習塾でも教えてくれない(!?)

では、塾はどうでしょうか?当然ですが塾の先生は教員免許がなくても出来ます。また、文科省のカリキュラムを守る必要もなく、独自の指導方法で勉強を教える事も可能です。

しかし、その塾であっても実際にはこういった教え方は出来ません。何故なら塾の先生を採用する際、基本的に「担当科目別」となるからです。

例えば数学の講師として採用する場合、「国語的なアプローチで数学の問題を解く方法を教える」というのは認められません。もしこのようなことを言った場合、

「国語は別の先生が教えます」
「あなたは数学の先生ですよね?」

…このようになってしまう。逆の場合も同様で、国語の講師が数学の問題の解き方を教えた場合「越権行為」とされてしまうわけです。

即ち、既存の教育機関ではこういった問題。即ち「数学の問題を国語的な思考方法で解く」とういのは教えられないというわけです。

目的と手段を間違えないよう

例えば、あなたが仮に「東京から大阪に行く」としましょう。この場合、新幹線を使う予定だったにもかかわらず、その新幹線が止まってしまったら大阪に行くことは出来ないのでしょうか?

そんなことはありませんよね。そういう場合は飛行機を使えばいいですし、時間や料金といったものを完全に無視した場合、バスやタクシー。あるいは車(マイカー、レンタカー)でも大阪に行くことは可能です。極端な話、徒歩や自転車を使って行くことだって可能なわけです。

にもかかわらず、「大阪には新幹線で行くべきだ」「飛行機を使うなんて聞いたことがない」という理由で大阪に行かないという場合、どうでしょうか?おそらく多くの方は違和感を感じるのではないでしょうか?

数学の問題も、結局同じです。目の前の問題を解く(証明する)ことが「目的」であり、数学の教科書や参考書を見るのは、あくまで手段に過ぎません。同様に、問題を解くために必要であれば国語の教科書や参考書を使っても「問題ない」のです。

にもかかわらず、「数学の問題なんだから数学を理解すべきだ」。あるいは「国語の理解が必要なんて聞いたことがない」というのは前述の新幹線のケースと全く一緒です。

それは一見すると正論を述べているように思えるかもしれません。しかし、実のところ、

完全な思考停止

なのです。

もう一度数学を学び直したい方へ

とはいえ、中学や高校。即ち子供の時は、こういった問題をじっくりと考えている時間がほとんどありません。何故かというと、「テスト」があるからです。

当然ですがテストは数学だけではありません。国語や英語。あるいは理科や社会といったものもあるわけです。

そうなると、ただでさえ苦手な数学に時間を割くことは出来ない。それよりも少しでも点数がとれる科目に時間をかけたいと考えるのは、ある意味で当然のことではないでしょうか?

結果、数学は「興味はあっても放置せざるを得ない」として、中途半端に終えてしまった方も多いかと思われます。少なくとも私自身、そうでした。

しかし、大人になって試験からは解放された事、そして数学ではなく「国語」という手段を用いて理解するという方法を知ったことで、昔は敬遠していた勉強にもう一度チャレンジしてみたい…そう思うようになったわけです。

実は私と同じような考えの方、多いのではないでしょうか?あるいは自分と同じ挫折を子どもにして欲しくないという方も…

そんな時は、ぜひ「数学の問題を国語的なアプローチで解く」という考えを思い出していただけますと幸いです。


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大学卒業後、IT系企業でSEを経て行政書士事務所を開業。ホテルで朝食会を10年、100回以上開催中。 成功体験や不幸自慢がなくても大丈夫!どんな普通の人でもブログが書き続けられる方法をお伝えします。アンテナサイトに登録してアクセスアップ→→https://visrepo.com/
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