2004年 北京へ
アメリカにて高校、大学と進んで気がついたら、周りにはバイリンガルがうじゃうじゃいた。 あさはかな私はそこで考えたのが、
「新しい言語」をまなべば、他の人とちょっと違うんじゃない?とおもい、北京に行くことにする。 もともとアメリカでも特に何かになりたい、やりたいという目標がなかったたのと、両親が中国語を話すので、案外スムーズにいくことになった。
その頃はまだ中国に対して、あまり目が向けられてない時代だったので、アメリカにいるのになぜ中国?という意見をよく聞いた。あの頃はあさはかだと思ったけど、今振り返ってみると行ってよかったとおもう。
北京の地へ降り立ったのは2004年の8月。
中国語はほとんど話せないが、なんとなく英語は通じるだろうという楽観的な感覚でいたが、見事通じない。笑
税関をやっとこさぬけて、外にでると母の友人の娘さんが私を迎えにきてくれていた。 彼女は日系会社に勤めていて、日本語がしゃべれるということだったので、わくわくしていたが、元の性格が寡黙なのかまったく会話は弾まず、ホテルに到着。
夜には彼女の母も遊びにきてくれた。昔英語の教師だったということで英語でしゃべったら、
「もう大昔の事なので、忘れちゃったのよ!あはは!」
典型的な中国人のおばさまで、サバサバしていて、よく世話を焼いてくれる本当に色々お世話になった人でした。
その後中国語がある程度わかるようになってからはおしゃべりも楽しくなり、色々とその当時の中国の生活を助けてもらいました。
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