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上海便り Vol.12 上海を離れるにあたって

友人知人の皆さま

前回の便りでお伝えしましたとおり、3月末をもって上海を離れ、大阪での生活を開始することとなりました。2度目の上海生活は1年3ケ月あまりと短いものとなりましたが、自分の人生のなかで最も多くの方と知り合え、交流を深めることのできた凝縮した期間だったような気がします。古い友人から、つい最近知り合いになった方々まで本当に多くの方から送別の会を開いていただき、ここでの生活の充実度をここにきて実感しています。ありがとうございました。

さて、離任が決まり改めて上海という街について改めて思いをはせてみました。これまでこのお便りでもご紹介しているように、この街はまだまだ発展途上ではありますが、確実にアジアの中心都市としての位置づけを獲得しつつあるような気がします。

先日、観光局のトップの話を聞くチャンスがありました。上海市としては上海ディズニーランドがオープン予定の2015年までに上海への外国人訪問者数1,000万人を目標としているようです。1,000万人といえば日本全体のインバウンドを上回る数です。原発の影響もあり数字が伸び悩んでいる日本を尻目にどんどん先を行かれてしまいそうな状況です。事実、多くの国際イベントの開催地として上海が選ばれ始めています。アジアの代表として東京が選ばれる時代は残念ながら既に終わった気がします。上海のホテル供給は過剰な状態といわれながらも、まだまだ多くの新規案件が目白押しですが、こうゆう数字が実現するのであればその理由もある程度納得できます。2015年までに計画されている4ツ星以上のホテルの数はゆうに70を超えるとか。上海の5ツ星ホテルだけで200という数字も実しやかに聞こえてきます。間違えなくホテル業界におけるアジアのコアシティは上海です。この勢いはどこまで続くのやら。

私の最初の上海赴任は1994年でした。外国人用の専用貨幣(兌換券)が廃止され、上海の象徴ともいえるテレビ搭が建った年です。当時、本当に何もなかった浦東にテレビ搭だけが不釣り合いにポツンと建っていましたが、その後20年近くたった街は大きく発展を遂げ、テレビ搭が街に溶け込んでいる風景が少し不思議でした。そういえば、当時、浦東という言葉はありましたが、浦西という言葉は聞かなかった気がします。浦西そのものが上海そのもの、そういう感覚だったのではないかと思います。今、上海は街の規模をどんどんと拡大し、世界一のメガシティになろうとする勢いです。今から更に10年が経過したこの街をまた見てみたい気がします。

住み慣れた東京を離れ上海生活も数か月がたった頃から、日本にいる知り合いと疎遠にならないようにと始めたこの上海便りですが、後半は上海で知り合った方々からもアイディアをいただければと配信させていただくようになりました。素人試みですし、そもそも、上海に住む方にとっては退屈な情報に過ぎないかと思い尻込みしていましたが、上海にいる方からもお世辞半分ながら良いコメントもいただき、とても励みになりました。お付き合いいただきありがとうございました。

4月から大阪での新しい生活が始まります。関西圏での生活は初めてですが、大阪という街には何やら東京にはない”アジアの匂い”を感じます。そんなアジアの一都市、大阪での生活の中でまた何かを感じ、離れた方々へ何か伝えられそうになったら、「大阪便り??」みたいなものをまた配信してみたいと思っています。その節は改めてよろしくお付き合いください。

最後になりましたが、上海での生活を支えていただいた全ての皆さんに改めて厚く厚く御礼申し上げます。非常感謝。

(この投稿は2012年3月にメールベースで友人知人の方へお送りしたものを一般投稿用に一部編集してお送りしているものです)


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