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障がい者福祉から高齢者福祉職/看取り士に興味を持って

私が障がい者を知ったのは20代初めに工場内に居たろうあ者と出会った事からです。社内手話勉強会に参加して手話通訳を集会で北海道に行ったのを封切りに難聴者向けの要約筆記や点字サークルで学んだり、盲ろう者ガイドヘルパー活動をしました。

50代初めに障がい者介護が仕事になりました、利用者さん中高年の方が多く激しい性格の方も居ましたが大半はおとなしい方でした。彼らとの出会いは30年前に出会って顔見知りでした、

始めて3,4年すると別のグループホームのYさんが予兆なく朝亡くなっていました。私が夜勤と日勤の週半分勤務するグループホームには車いすベッド生活の方3人住んでいました、担当する1人は還暦を超えた高齢者男性で他に中年の男女の方が1人づつ居てその方々は30年来の知り合いでした。

同性介護が原則で女性の介護はありませんが、ヘルパーさんの移乗の補助で呼ばれる事のあり昔話を懐かしく話したりしました。男性は人見知りする難しい性格ので挨拶以外の会話は殆どありませんが研修で何度かお世話をさせて頂いた事がありました。

ある日に女性の部屋がバタバタして自家用車で病院に行かれました、救急車は呼ばれ無かったので緊急性は感じませんでしたが後日病院で亡くったと聞きました。しばらくして別室の男性が足腰を痛めて大事を取って入院していましたが退院日に急変して無くなりました。それまで元気だった30,40代の健常者が亡くなったと聞くと交通事故を真っ先に考えます、何かの病気で入院中ならそちらも考えるかも知れません。

亡くなったお二人と面識はありましたが直接介護したことはありませんでしたが直接関わったヘルパーさんはショックだったように思います。3人共24時間体制なので多くの人が関わっていました、亡くなる事で他の方の担当になりますが情的に割り切れない想いはあると思います。知る範囲ではお二人の直接介護をされていたヘルパー2人が退職されました。

ふと私の担当している方は間もなく65歳を向かて障害は別にして年々お別れになる可能性が高くなり統計は知りませんが障がい者は健常者に比較して短命です。

人は誰しも歳を重ねるごとにあちらの世界に近づきます、これまで関わりの深かった障がい者も高齢者になります。それを受け入れて明るいものにするために高齢者介護も視野に入れてその先の「看取り士」会を調べました。

日本看取り士会 会長 柴田久美子さんの対談がアイに溢れて感動的でしたのでご紹介します。



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