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彼女が覚えていなくても、私が死ぬまでずっと覚えている。

彼女にとって、今日という一日はいい一日にしてあげられただろうか。

第一子、慣れない子育て。
毎日、抱っこ、授乳、おむつ替え、お風呂…

娘はニコニコすることは増えたが、
まだ「楽しいから笑う」という域には達していないだろう。
ただ一つ、確かなのは、不快だったら泣く。
それだけ。

だから、真顔で見つめられるのも仕方がないこと。
わかってはいるのだが、いつも悩む。

おっぱい飲みづらい体勢でないだろうか、辛くないだろうか。
あまり訴えないけど、お腹空いてないだろうか。
それとも空いてないのに飲ませてしまっただろうか。
お風呂のたびに手をグーにして驚いた顔しているけれど、怖いのだろうか。
足がよく動くのでついおむつを雑につけてしまうが、苦しくないだろうか。
抱っこで反り返られるけど、嫌なのだろうか。

一つ一つ、娘にとって心地が良いようにできているのか。
ストレスになっていないだろうか。
まだ生後数ヶ月、そんなことを気にする方がちゃんちゃらおかしいのはわかっているのだが、そんなことを考えてしまう。

おっぱいをうまく飲ませられなかった頃、私は、
「飲みたかったのに、うまく飲ませてあげられなくてごめんね」
とよく言っていた。

そのほかにも、娘が泣くたびに、口癖のように、
ごめんね、ごめんね、と言っていた。

実母に言われた。

なんでそんなごめんねなんていうの?
赤ちゃんは泣くのが仕事だし、赤ちゃんもママも1年生なのだから、ごめんだなんて思わなくていいの。

今となっては、授乳も抱っこも慣れてきたので、
心の余裕もでき、娘に謝る回数も減ってきた。
あらあら〜、なんか嫌なことあったの?と聞くぐらい。笑

だけど、今でも心の片隅で思う。
私は、娘にしてあげることにプラスαを求めていた。
娘にとって嬉しいか、心地よいか。そんなプラスα。

でも、自分のことを振り返ってみると、
当然ながらそんな乳児の頃のことなんて覚えているはずもない。
仮に雑な扱いを受けてたとしても、わからないだろう。
(ありがたいことに、そんなことは絶対ないと思えるぐらい、
大切に育ててもらったと思っている)

じゃあなぜ、そんなに子育てを頑張るの?
どうせ覚えてもない、いつか忘れられることなのに。
時間とお金と心をかけて、なんでそんなに頑張るの?

多分、自己満足なんだと思う。
決して彼女の記憶には1ミリも残らないとしても、
私の人生にたくさんたくさん、残したい。
彼女が覚えてなくても、私が死ぬまで覚えている。
私だけの宝物。

子育てなんて、究極、
子供が社会で生きていけるように、
生かし、この世界に慣れさせることでしかないんだと思う。
授乳もおむつ替えも離乳食も発達も何もかも。

そして、自分の道を見つけにいけるよう、
最後はその背中を安心して見送ることでしかないのかもしれない。

それでも、ほんの少し、
その過程を一喜一憂して、泣いたり笑ったりして、
楽しむ権利ぐらい、親にもあったっていいよね。
例え、自己満足だと言われても。

そんなことを考えながら、
今日も娘と生きる。
立派なことはできないけど、あげられるものは多分たくさんある。

その中から、彼女だけの何かをいつか見つけてもらえますように。

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