Episode 548 "Water !"の衝撃が必要です。
これは私の仮説なのですが、ヘレン・ケラーは自閉症者「だった」…と思っているのです。
先天的に「見えない」「聞こえない」、故に「話せない」という三重苦を背負ったヘレンは、自分の意思を伝える明確な手段を持たない…というのは誰もが理解できるところだと思うのです。
ただ、ここに「もう一つ重要な事実」が隠されていると私は思うのです。
それは、「見えない」「聞こえない」が故に、あなたの意思を確認する手段も持たない…ということ。
私の思う「自閉の正体」は、「私の気持ちのコントロールの困難さ」という一言で表現できます。
あなたと私の関係で、お互いに自分の意見を調整して「どうしようか」「こうしようか」と、お互いに進むべき方向を決めていくことが「社会性」という言葉のザックリとした意味でして、つまり、あなたの意見を聞いた時に「私の意見の調整」が難しいということが「社会性の欠如」ということになるワケです。
ヘレン・ケラーは「見えない」し「聞こえない」から、あなたの意見を確認できなかった…ということになりますよね。
その一方でヘレンには、言葉以外の方法で自分の意思を表現する方法はあるワケですよ。
以下、このツイートの続きです。
「Water !」以降のヘレン・ケラーは、自分の意思を伝える手段を得て、自閉症者ではなくなる…と私は思っています。
もちろん、「見えない」「聞こえない」という重い身体障害を抱えているのですから、定型・健常者のように意思疎通ができる様になるワケではありません。
でも、あなたの意見と私の意見を調整して、自らの考えを示す方法を得ることは出来た…私はそう考えます。
前回の記事で私は、「発達障害者と社会との関係の持ち方について、その関係性の糸を手繰ると、最終的には『己を知る』というボスキャラに出くわすのだと思う」と書きました。
その為には「手加減」しない私の解放が必要になります。
その上で、「手加減なし」で飛び出たイガイガを折りたたんでいく作業が「社会性」ということになる…それはよく「丸くなる」という表現で言われるものだと思うのです。
自閉症者はこのイガイガを折りたたむのが苦手…なので、イガイガで相手を傷付けてしまったり、イガイガした自分のココロを隠してしまったりするワケです。
自閉症者にとっての「Water !」は、「手加減なし」で飛び出たイガイガは折りたためる…と知ることです。
折りたたんだイガイガは、たたんで角を折りこむだけで、捨てる必要はない…と知ることです。
その「Water !」にたどり着くまでに周囲の人ができることは、手が届くところに「水」と言うモノと「Water」という表記を置き続けることです。
「Water !」にたどり着くには、それらを当事者が能動的に結び付けること以外ありません。
最後に、このヘレン・ケラーの話に関連して、なん(@nankuru28)さんのnote記事をひとつ紹介します。
なんさんの言う「Water !」の瞬間は、「徐々にわかる」ではなく、「弾けるような何か」のような気がします。
追い込む…の反動のようなものが必要なのかもしれません。
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