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Episode 2 「ここにいるよ」って言えないのです。

私には「普通」が分かりません。
生まれつきのASで、それが私にとっての普通なので、定型発達した人の感覚は私にはわかりません。

人の気持ちが理解できないとか、行間が読めないとか言われるけど、確かに「サリー・アン課題」で引っかかるんだけど、それは私にとっての普通なので、世間でいう普通って、未だに理解できないんです。

世間でいう普通がフツーにできないと、どうやったら普通に見えるか学習するようになります。
細田守監督の映画「おおかみこどもの雨と雪」で、雪がおおかみではなく「普通のおんなの子」になろうと努力したように、有川浩の小説「レインツリーの国」で、ひとみが補聴器を隠し声を出さないようにするように、自分で「健常者」や「定型発達者」の社会の隅っこにささやかな居場所を作ろうと努力するんです。

みんなが笑ったら控えめに笑っておくとか、自分だけ違う行動をしないようにするとか、自分の気持ちを内側に閉じ込めて、周囲をいつも伺っている…それは、社会からはみ出して痛い思いをした経験の産物だと思います。

私は、この世の中は普通ではない人たちに不寛容な世界だと思ってました。
今までにそんな経験をしてきているから、そう思ってしまったんだと思います。
でも、本当はそうじゃない、普通の人たちがそうではない人たちのことを知らないだけだと思いなおしたんです。

ケーキ屋さんでケーキを買ったら、プラスチック製のスプーンが付いてきました。
ケーキが切りやすい様にスプーンの左側がナイフ形になっているヤツです。
でもそれって、右利きの人が食べやすいだけで、左利きには何の恩恵もないだけでなくて普通のスプーンより食べにくいわけです。
10人に1人は左利きなのに、そんなにたくさんいるのに、世の中は右利き用に出来ている…自動改札や事務所においてある汎用のハサミとか、左用が混ざっていたら混乱するってわかっているなら仕方ないけど、そんなところまで世の中は右利き用に出来ているんです。

多数派からは少数派に気が付かないんです。
少数派は多数派の中に居場所を作ろうと努力して本当の姿を隠します。

だから、キチンと話したいのです。
世の中では普通ではないのが普通の人たちがいて、キチンとその存在を示したいと思ってます。
でも…その道のりは遠いのです。

残念ながら、私もまだ、実名で声を出せずにいる弱いヤツです。

旧ブログ アーカイブ 2018/9/16

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