エッセイ 夏と陽が去るころ
徹夜明けの重い瞼を開ける。
夏のするどい日差しが、僕のからだを覆っていた。
ベッドに横たわったまま天井を見つめまどろんでいると、枕元の携帯がちょっとだけ震えた。当たり前のことを当たり前のようにしているといったような、無機質なバイブレーションだった。
LINEの通知。彼女からのものだった。「別れたい」そう打たれていた。
その一言は、紫外線が肌を刺すように、じりじりと僕の胸をやいた。
今日までの数日間は、彼女の遅い返信を待っている日々だった。
ずっと心配していた。
ひょっとしたら別れ話を切り出してくるのではないか、それともそれすらなく、そのまま一生言葉を交わさないままになるのだろうか——。
どちらにしろ不安だった。
僕が理由を聞くと、彼女は今までで見たことのないような長文を送ってきた。頑張って書いてくれたのだろう。
内容は、多忙になって、寂しがりやなあなたのために時間を割くことに負担を感じるようになった、といったものだった。
僕はじっくりとそれを読んで、「もう一度考え直してほしい」と返信した。
僕はひたすら配信を見ながら返信を待った。一種の逃避行動だ。
いつもは読書やゲームで気分を紛らわしているが、今回はその程度では収まらなかった。
配信では、一心不乱に自分のやりたいことに打ち込んでいるエンターテイナーが写っていた。それをみて笑って、喜んでいるリスナーがいる。そういう人たちが集まって会話をしているところを見ていると、こころが安らいでいくのを感じた。
配信の良いところだ。
人は皆、こうして孤独を克服しているのだ。
失恋直後に襲う孤独を、配信は紛らわしてくれた。
ここでふと、ネット社会より前の恋愛の模様について考えてみた。
LINEではなく手紙でやり取りをしていた時代を考えてみる。文通ひとつひとつがやたらにながいキャッチボールをするのだ。返事がくるのに距離にもよるだろうけど時間はかかって、もはや失恋したとなると、返事が一向に来なくなる。配信のような気を紛らわすものもない——なんと残酷なことだろう。
感謝したいものだ。
よくもわるくも人と簡単に繋がることができる、この時代に。
それから、2、3時間以内に返信はきた。
通知には、「悩んだ挙句に出した結論なので、理解して欲しい」という内容が書かれていた。
時間をすこし開けて、僕からは、内容を理解したということと、僕も同じように時間をかけて悩んだわけではなくて、今とても混乱していること、友達としていてほしいことを伝えた。
彼女からは、「わかった」「ありがとう」「ごめんね」と返ってきた。
僕は既読だけをつけて、会話を終わらせた。
翌日。
僕は失意のどん底にいた。
寝ていたかったが、このままだと腐ってしまう。僕は散歩に出かけた。
いつもの散歩の距離が長く感じる。まるで旅に出ているようだった。
僕は歩きながら彼女のことについて思いを馳せた。
あの子はいい子だった。
僕にはもったいないというくらいには、とてもいい子だった。
どうして僕なんかを好きになってくれたのだろうか。
どうしてだろう。
あまり彼女のことを知る機会はなかった気がする。
もちろん知ろうとして努力はした。けれど足りなかった。
もしくはその機会に恵まれなかったか。彼女が拒んでいたのか——。
半年であったが、僕がそこから得ることができた”彼女のこと”は、彼女と寄り添い続けることにおいて、じゅうぶんではなかった。
それだけはわかった。
付き合った当初から、僕は色々と彼女のことについて聞こうとしたのだけれど、はぐらかされることが多かった。
付き合っていくうちに緩やかに知っていく関係を、彼女は望んだからだ。
僕はその彼女の希望に応えられなかった。
別れて、むしろもっとわからなくなったことが多い。
察することができれば良かったのだろうか。きっとそうだ。
でもどのように察すればよかったのだろう。
どのように知ればよかったのだろう。
そういう思いが悔しさを呼んだ。
「やっぱり考え直して後悔しているからよりを戻したい」
そう連絡がくるのを淡く期待したが、来ることはなかった。
代わりに母が以前に言っていた言葉がこだました。
「人はそれらを含めて相性と呼ぶのだ」
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