「君たちはどう生きるか」感想の感想と宮﨑駿の射程。
公開初日の初回に観た映画の感想を一ヶ月経って今更・・・とも思ったけど言語化しておきたくなったので書き留める。
あるいは、一ヶ月以上考え続けさせるくらい力のある映画だと言ってもいい。
以下、単なる個人の感想であり、ネタバレも特になければ個々のシーンの考察もありませんが、よければお読みください。
問いかけっぱなしのタイトル
タイトルを見て「説教映画だと思っていた」という人も多い本作。
実際まあ説教というのは人間が行う三大愚行(残り二つは知らない)の一つなので、そんな映画だったら誰も観ないだろう。
「君たちはどう生きるか」なんていかにもおっさんとかジジィの口から出てきそうな問いだ。そして答える間もなく自分語りが始まりそうだ。
しかし実際の映画ではどちらかと言うと逆だった。
圧倒的な作画と緩急鋭い音楽の上で展開していく物語にやや宮﨑駿監督の自分語りを感じるが、映画中にこの問いが発せられることはないまま終わってしまう。
呆然としたまま水色無地の背景に米津玄師の「地球儀」に背中をなでられて劇場を後にし、大いなる余韻とモヤモヤを抱えたまま日常に戻ることになる。
(で、一ヶ月半も経ってから文章を書きたくなったりする)
もしタイトルがもっと具体的な質問だったら映画が示す"答え"も自分なりの答えも映画館を出てベッドに入って寝るまでの間に出たと思うけど・・・
「君たちはどう生きるか」という何の飾りもない問いは、大喜利で遊ぶこともできるけど、真正面から取り組もうとすると即答できる類の問いではない。
「タイトルが合ってない」「違うタイトルの方が集客できた」という感想はまあ説教臭さ回避という意味ではそうかもしれないけど、それ以上に宮崎駿はこの問いを観客に届けたかったのだろう。
つまり多くの人がXでつぶやいていたように「自分で答えを出せ」ってこと・・・
とは言え宮崎駿は観客に答えを迫ったりしない、あくまで観客にさりげなく置き土産を持たせただけで、本編の自分語りにも自慢や嫌味は感じない。
ある意味「むしろ説教してほしかった」という感想すらあるくらい、宮﨑駿の優しい眼差しがこもった映画だった。
私の個人的な答え
誰かを愛せ。
別に人間じゃなくてもいい。とにかく属性ではなく固有の存在としての誰かを愛せ。
理屈や勘定ではなく、シンプルかつ絶対的にかけがえのない存在が自分の人生に存在し、しかもその存在が人生の一部であることを自覚せよ。
・・・ということ。
映画本編でも「友達」という言葉がキーワードになっていたが、これはもちろん、替えがきく都合の良い遊び相手という意味の友達ではないだろう。
人生の半分以上生きた、と自分で思う年齢に差し掛かった自分には友達のかけがえのなさが沁みる。そういう特別な存在を自分の人生に住まわせることが大切なのだ。
登場人物たちの愛すべき余白
本作の登場人物たちは誰もが問題がある、自覚的または無自覚の悪意がある、フィクションのキャラクターとしては引っ掛かりを覚える人物ばかりだ。「誰にも感情移入できなかった」という感想もちらほら見かける。
それはつまり、属性で簡単に片付けられない人物ばかりだということ。
まあキリコを除くおばあちゃんズは個人というより集合体ぽいところもあったし、インコとかペリカンとかワラワラとかの人外生物(失礼)は属性ではある。
しかし彼らがこれと言った必然性がなく登場することで、現実世界におけるインコとかペリカンとかの属性が持つ性質を安易に適用して解釈されることを拒んでいるようにも見える(だからこそ考察が捗るとも言える)。
インコやペリカンが唐突に登場すること同様に、この映画には余白がたくさんある。
「眞人の改心が意味不明だった」「全体的に説明不足」という感想も多かった。登場人物の心境の変化も多くを描かないのは一見すると不親切だろう。しかしこれは観客が登場人物を愛する余地を残してくれたのではないだろうか。
蛇足になるが、
人を好きになることに理由はない、とよく言われる。
それはつまりその人を属性とか要素で分解すれば"好き"の答えがあるわけでもなければ、逆にその要素や属性を組み合わせた人物が目の前に現れれば必ず好きになるとも限らない。
つまり・・・私たちが人を好きになるには余白があり、それが互いに噛み合うことが必要なのだと思う。
だから好きになる理由(じゃなくて改心する理由)を長々と説明せずにごく断片を絵にするだけにしたのだと思う。
「なんかわからんけど涙出た」という感想の多さ
Xでの感想を読み漁るに、理由もわからず感動した人が多いのが印象的だった。
また一回観てスッキリした人よりもモヤモヤしたり「理解できなかった」とぼやく人の方が多く、「○回目観に行った。同じ映画を映画館で観るのは人生初」という声も多い気がする。
(かく言う私も公開5日目に2回目を観に行った)
もちろん一回で「意味不明。駄作」と断じる人もいてそれもその人の"どう生きるか"なのだけれど、より多くの人が監督からの問いを受け止めたようだ。
宮﨑駿監督は自分の死の先を見ている、少なくとも自分の死は他者にとって通過点にすぎないことを自覚しているように見える。
「君たちはどう生きるか」という問いを投げつつ、おそらく宮崎駿監督自身は私たち観客の答えを受け取るまで生き続けることはない、と知っていることを正直に打ち明けている。
それを多くの観客が受け止めたからこそ、その問いには重みがあり、胸を打ったのだと思う。
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