見出し画像

足りないものなんて本当はそんなにない。


さらさらと流れる小川は夕暮れの物悲しげな姿をうつろに映している。透明な水の膜の向こうにはこことは違う生態系があり、それぞれのルールの中で生きている。一つだけ違うのは、彼らは捕食について深く考えていないであろうことだ。もちろん、自分の生き死にについて無関心な生物はいないだろう。どんな生き物にとっても生存していくことは最も重要な使命だ。しかし、人間のように優越感に浸ったり、逆に劣等感に溺れることはないはずだ。

なぜ人間はこんなにも不器用に発達してしまったのか。生物として頂点に君臨しているはずなのに、私たちは常に空腹でそれでいて内省的だ。もはや進化をやめて現状に満足してしまえたらいいのに、そうなることは今後一生ないだろう。それは人間という生き物が生存競争に勝利したことが思考に起因しているからだ。

我々は物事を順序立てて理解することができ、実際に目の前で起こっていない出来事を想像でき、存在しないはずの存在を信じることができる。嘘をついて相手を欺くことができる。共通の思想を持つことで言語や種族を超えて団結することができる。そして、おそらく地球上に人間よりも高い知能を持つ生物はいなかった。だから人間がこの星をわが物顔で闊歩し、傲慢にも環境破壊や他生物を絶滅に追いやったりしている。

もしも生物の進化がテーマのゲームなのだとするならば、人間が文明を築いた時点でゲームクリアだろう。しかし、私たちが今生きている現実にはリセットボタンやゲームクリアを告知するプログラミングも存在しない。人間という不遜な生き物がただただ肥大化していくのを見ているしかないクソゲーとなっている。それでも人間自身が幸せに暮らしているのであればまだいいが、お粗末なこと生態系の頂点に立ってもない人間は幸福に身をゆだねることができない。

今度は人間同士で競い合うようになってしまったためだ。とくに先進国では、いかにしてマネーゲームに勝利するか、有名になって権力を持つかに熱中しており、もはや他生物との生存競争など眼中にない。捕食し虐げる側だった人間は今度は身内に迫害される身となった。そうならないために頭脳という武器を手にして小さな戦争を毎日のように繰り返し、自分の優位を確立していく。

優位を確立したら、今度は地位が揺らがないように社会全体の仕組みを構築する必要がある。一部の限られた人間たちによって都合の良い社会システムではあるが、それを悟らせないように人類はみな平等で自由なのだと喧伝して回る。しかし、資本主義と刻印された自由の正体は格差そのものであり、結局は能力や経済的な出自に大きく依存している。持たざるものは「成功できないのはお前の責任」と同情すらしてもらえない。

社会的に平均以下とされる暮らしをする人々はそれでも必死に働くが、生活が飛躍的に向上することはあまりない。別に今の生活で十分で食べていけるし、贅沢しなければそれなりに暮らしていける、と自分の境遇を受容できればいいのだが、テレビやネットで流れる番組やCMでは競争心を煽るものばかりでどっぷりと資本主義に浸かったものばかりだ。このままの生活でいいじゃないか、というCMはほとんどない。

我々は無意識のうちに資本主義の奴隷にされており、常に誰かと競争することを強いられている。よく後進国のほうが幸福度が高いといわれるが、それはその通りなのだろう。なぜなら彼らは資本主義の毒牙から逃れられているのだから。

かくいう私も資本主義にどっぷりと浸かり、その恩恵を少なからず受けて生活しているわけだが、資本主義というのは持たざる者にはやはり辛いことのほうが多い。よく周りからもっと上を目指せと言われる。年収も恋人ももっと高望みをしろ、と。彼らはなんの悪気もなくアドバイスしてくれているのだろうけど、私は「このままでいい」のだ。

上を見始めたらキリがない。そこ待っているのは決して達成することのできない不毛なロールプレイだ。そして、上を見るということは下を見てしまうということだ。たとえば年収という軸で上を見てしまえば、貧乏な友人を見て無意識に「自分よりも下だ。不幸だ」と思ってしまうかもしれない。自分が思われる分には構わないが、自分がそう思ってしまうのは許せない。

だから私は上だの下だのという価値観が嫌いだ。資本主義の中で生きているのだからそのレースから離脱することはできないが、せめて比較するのは自分自身でありたい。他人の不幸や苦労を聞いて内心喜んでいる偽善者にはなりたくないし、本当は嫌いなのに地位が高いからという理由だけで無条件に敬ったりもしたくない。

私にとっての人生の価値とは、今手にしている宝物を落っことさないように最後まで走りきることだ。これ以上はいらない。足りないものなんて本当はそんなにないのだから。

大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。