あえて喧嘩を売る話~芸術って「どす黒くて」なんぼだ
こんにちは。ホタルです。そうそう先日のコンサートは想像以上に大成功でした。そのあたりのレポートはまた今度。
今日は、最近の「芸術!」とか「創造性!」みたいな話や、アートマネジメント!みたいな話題に個人的に疑問を抱く話。
GWの風物詩(?)ともなったラフォルジュルネ。私も実はスタッフバイトをやったり、45分間のプログラムって最高~と思ったり楽しんでいた時期もありました。
ただね。
近年、こうしたクラシック音楽イベントに疑問を抱くようになってしまった。
これは完全に個人の主観なのですが、クラシックの音楽(イベント)=きらきらしたもので、子供も楽しめて、ふんわりした(抽象的すぎる表現)もので、お金のにおいはちらつかせなくて、みんなが笑顔になれるものを目指すよ★介護施設や幼稚園に出張演奏するよ★★
みたいなの、多いですよね。
でも、それを続けるだけだと、プレイヤーが日々どれくらい努力をしていて、どれくらい音楽への情熱を持っているか、とかそういうどろどろした(?)苦労って伝わらないままで、とりあえず若くてきれいな女子アナっぽいおねーさんたちににこにこして終わるだと思うんです。(すみません偏見入りましたw)
別に押しつけがましい苦労話をしたいわけではないんだけれども、スポーツ選手に対しては「ああ、努力があってこその結果だよね」って世間は理解するじゃないですか。
でも、音楽家ってかげの努力を無視されているような気がしなくもないんです。一瞬の演奏のために裏でどんながんばりを見せているか(時々努力しなくてもできる天才もいるがそれは置いておく)が伝わらないから、聴く人はプレイヤーが生み出すコンテンツを「無料で」受け取れるものだと思うし、芸術の深い部分を理解することなく、「なんとなく超絶技巧かっこいい~」とか、エンタメ的な要素だけ(表面的な要素だけ)を追い求めて「考えなく」なってしまうのではないでしょうか。。
いやまあね、私だって演奏聞いてどれがうまいかとかわからんですよ。
でもプレイヤーの人たちは、ただ演奏するんじゃなくて自分の情熱を「言葉」に言い換えることを怠ってはいけないと思うし、聴く人も結果だけではなく「プロセス」に目を向けていいと思うんです。
そうやってコンテンツをみんなで作り上げていくことが出来たら「芸術」の価値を維持できるんじゃないでしょうか。
別に音楽イベントをけなしているわけではないですからね。イベントが盛り上がることはいいと思うんですが、なんかきらきあ純粋な側面だけを全面にだすんじゃなくてどす黒い(?)部分も可視化させていいんじゃないかな、っていう想いです。悪しからず。
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