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30歳になっても、隣の芝生は青く見える



帰宅したら、珍しく自分宛に冊子が届いていた。
大体こういうのになると、以前頼んだ食品のカタログか、所属していてもさほど意味ないけど、
「今後のため」と思い込んで所属し続ける
資格に関わる会誌だろう、と思っていた。

宛先を見てハッとした。以前応募したエッセイの主催者からだった。ドキドキした。もしかしたら、自分の作品が選ばれているかもしれない!と。確かその時出した作品は、個人的に自信があったから、なおさらドキドキした。

私はこういう封筒を後先考えずに、破って開けてしまう。30歳になっても、直す気は、ない。

中には作品集とお知らせが入っていた。その瞬間、我に帰った。
「ああ、ダメだったんだなー」と。確かに直近、主催者からはこのような連絡は一切来ていなかったし、作品集を読むと、私の作品より遥かに面白いし、惹かれていった。悔しい、という感情より、「だろうな」という無の感情の方が圧倒的に強かった。




私は今、絶賛落ち込み中だ!この発表を知ったからではなく、かれこれ2週間前からずっと、悲しい。結婚式で幸せな友人の姿を見ても、その時は幸せだったが、帰りの電車に乗った瞬間、一気に悲しくなり、なんだか酔いも回って気持ち悪くなった。メンタルヘルス的な理由もあるが、1番の理由が、「隣の芝生が青く映りすぎている」からだ。
6月は色んな場所に出かけた。結婚式だけでなく、グランピングや久しぶりの美容院、犬カフェなどなど。どれも思い出としては良かったはずだったんだ。しかし、認めたくないが、一緒に行った友人のキャリアや幸せそうな話を聞くと、

「自分もできたはずなのに、みんなそれ以上にできるの?」とか、「あの方は年収あんな高いの!?」とか、段々エッヘン!!と誇っていた自分の良さが小さくなっていき、
「私って、結局何が取り柄なの?30歳になっても、分からないままだ」がループし、結果
Official髭男dismの「異端なスター」で涙ぐんでしまうくらい、もう、分からなくなってきてしまった。


私は元来自己肯定感が低い。だから、余計に
他人が羨ましく思う。本当は何不自由ない生活であることだけで幸せなはずなのに、幸せな人を見る度に「ああ、私幸せじゃない」と堕ちる。

好きなように仕事して、好きなようにご飯食べて、エッセイも自由に書けるはずなのに!!
どうして、他人と勝手に比べて苦しくなろうとしてしまうんだろう!!
30歳になっても、隣の芝生が青く見えて仕方がない。



久しぶりにnoteを書いたが、吐きだまりみたいな
形になってしまった。申し訳ございません。
またしばらく、隣の芝生を見ない生活をしようと思う。LINEやSNSを極力見ないとか...
元気になって、自分の芝生も青く輝いて見えるようにしたい。

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