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コンプレックスというもの

 つい先日、Twitterでコンプレックスについてのツイートがバズっていたのを見た。一重だか二重だか、とにかくその人は目元にコンプレックスがあって、けれどそれを解消してからは別人のように活発になり日々がきらきらと楽しいものになったといった旨の内容だった。確かそんな感じだったと思う。考えに考え抜いて、結果として手術をしたそうだ。ちなみにずっと反対していた人は手術をしたことにも気が付かなかったとのこと。

 かくいう私にもコンプレックスはままある。あんまり詳細を述べても意味がないので割愛するが、一般的な化粧だとかで解決が望めないものである。遺伝だから仕方ない。仕方ないのはわかっているし、更にいうなら手術等をして解決したいという願望もない。要は放置する気満々です。自分の手でどうにかなるならとっくにどうにかしてる。でも金銭と時間とリスクと、コンプレックス解決後の自分を天秤にかけて、放置しようと思った。

 コンプレックス、とは、自分にとっては本当に大きくてとんでもない大問題に思える。きっと他人はそんなに気にしてないしそもそも本人程見てない。大人になったら気にならなくなることもある。でもコンプレックスが本人を蝕んでいる範囲は時折尋常なく深くて広い。本当に邪魔だとしかいいようがない。これさえなければ、あるいは、ここさえこうなら、だとかのIFを脳内で想像する。きっと今よりもできることが増える。今よりも選択肢が増える。

 もしかしたら、高尚な考えを持っている人はここで「つまりコンプレックスとは気の持ちようです! プラスに考えて、個性と捉えていけば、もう大丈夫!」とかなんとかいうのかもしれない。個性なのはわかっている。なにせそれをコンプレックスだと自覚してからの付き合いである。但しその個性がポジティブではないというだけで。

 でも無理なものは無理じゃんと私は思う。気持ちだけで解決するなら一重を二重に、二重を一重にしたいと手術を受ける人はいない。鼻を高く、低くする人はいない。頬骨を削らなくて済む。歯を抜かずにすむ(これは健康面での理由もあるだろうけど)。多額の対価を支払ってでもコンプレックスを解消したい人がいるし、私の様に放置する人もいる。

 コンプレックスがない人のことは、羨ましいと思う。より正確にいうなら、私のコンプレックスに該当しない人のことは、わりと羨ましい。私なら諦めることも、特に躊躇うことなくさらっとできるかもしれないし。きっと日々の生活が今の私よりちょっとは明るい。多分。

 結局なにがいいたかったのかというと、まあ特にないんですけど、コンプレックスに踏まれても頑張って生きていくしかないなあという諦念の発露です。勘違いしてほしくないのはコンプレックスを放置するのはあくまで私の選択肢であって、解決したい人やそれに向かって努力している人を否定しようだなんて気持ちは微塵もありません。本当に凄いと思います。

 他人のコンプレックスを馬鹿にする人や本人の気持ちを全く考えない人がたまにいる。どうしてそんなことができるのか、私にはとんと理解ができないけれど、自分が思っている以上に相手を傷つけているかもしれないのを自覚してほしいと思う。何気ない一言で傷つく人だっている。

 過去の私がそうだった。今よりもずっとコンプレックスというものに蝕まれていた頃の私は本当にくだらない一言に対しても律義に傷ついていたし、それを誰かに相談することもできず抱え込んで、そしていつの間にか諦念を手に入れた。それが正解なのかどうかはわからないけれど、少なくとも過去の私よりは気楽に生きている。コンプレックス? あああいつね、あるけど基本放置かな。え、化粧があるじゃん? 化粧でどうにかなるコンプレックスならとっくにどうにかしてる。

 多分私はずっとコンプレックスと生きていく。と、今の私は思っている。大人になったら子供の頃苦手だった食べ物が平気になるように、もしかしたら、数十年後の私は今の私のコンプレックスをコンプレックスだと思ってないかもしれない。でもその代わりに別のコンプレックスを携えていたりして。

 コンプレックスのない人生とはどんなものだろう。来世はコンプレックスとは無縁だといい。そもそも人の容姿がどうこう(私のコンプレックスは容姿に関係するものなので)という社会に生まれたくない。ならこのコンプレックスは社会のせい? それもまた一理あるかもしれないし、全然関係ないかもしれない。でも私は女性に対して「この顔でこの服はない」だとか男性に対して「服のセンスはいいんだけど顔が」だとかがいえてしまう社会は好きじゃない。何様ですか? 性別をそもそも男女のみとしがちなところにも思うことはあるけど、コンプレックスから更に脱線するので割愛。

 ごちゃごちゃと冗漫に書きましたが、コンプレックスとは、適度に距離を取りつつ生きていければいいなと思います。もちろんないに越したことはないんだけど! だってその方が精神的に健康でいられそうだし。

保高保


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