障害福祉の仕事は難しいけど面白い

こんには、下里です。

今日からは1回あたり1つのテーマについて書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。

はじめに自己紹介をさせていただきますと、私は入所施設に4年勤めた27歳の時に施設で一緒に働いていた同僚と自分たちでサービス事業所を開始し、今に至っています。

今回は、はじめなので自分の行っている「障害福祉の仕事とは?」について書こうと思いますが、なるべく障害福祉の事を知らない方の為に分かりやすく専門的なことも砕いて、文字数は2000~3000文字にまとめたいのであまり脱線しないようにしたいと思います。

まず、私が「なぜこの仕事をするか?」というとことをシンプルに言うと、たぶんこの仕事をしている人がほとんど思っていることと同じで面白くなくて申し訳ないのですが、「自閉症スペクトラム(以下自閉症)や重度の障害のある人が面白くて好きである」ということです。この方たちの持つ「面白さ」がこの仕事の最大の魅力であり、支援したり関わりたい理由です。その「面白さ」は「個性」であったり「自閉症の文化、価値観」であったり、「人間の愛らしさ」であったり、「世の中に影響されず自分らしく生きている」であったり、「成長」であったりしますし、関わる人の表現はこれ以外にも様々だと私は感じていますが上記のようなことが「面白さ」の理由です。また、「人が好きなので一緒にいたい」という原始的欲求や「困っている人の役に立ちたい」「助けることで自分も満たされる」という社会的欲求を満たしたいということも根底にもあるでしょう。(ここもまた別の機会に掘り下げたいともいます)

なので、「自閉症や障害のある人がいたから好きになった」、「福祉の仕事をしている」のです。いてくれたので仕事をしたいと思ったのですから本当にありがたいことですし、こういった支援ということが仕事になる日本、日本の社会保障制度は本当に優れたものであるなと振り返ると感じれます。(福祉の制度の話はまたどこかでしたいと思います)

相模原の津久井やまゆり園の事件の際も「障害者なんていなければ」という犯人の発言やネットで少なからず賛同する書き込みがあったということを聞きますが、個人的には障害のあるとの関りの中の特別な何人かの利用者さんがいてくれたおかげで人生を深く考える機会を得れたと思いますし、普段の多くの利用者さんから豊かさを感じる機会が多いことには感謝しかありません。

それ以外にも今は新型コロナウィルスの影響で社会がシステムを変えていかなければならないという課題からも場所や時間にとらわれず、今までのやり方を変え「社会を進化させるためにはどうしたらよいか?人類がどう生き残っていくか?」言い方を変えると「みんなで幸せになるにはどうしたらよいか?」という視点で、重症心身障害児者やALSの方の様に機能が制限されていたり、自閉症方の様に価値感が違っても人間の意志や生き方を大切にする手法を考える際、当事者の方からたくさんの投げ掛けをいただける大切な存在であるかと思います。

たま、今までは計算が早い、記憶力がある、たくさん知識、知恵がある、饒舌にしゃべれるなどのことが能力であり重要視され価値がある社会でしたが、これからはインターネットによる情報共有やブロックチェーンによる情報収集がより進み、インターネットで場所を問わず働けたりアイデアを提供できるようになればより個性的であったり、面白さであったり、創造性を発揮できる人が重要になるでしょう。そのような点でも子どもや障害のある方は天才的な能力の持ち主だと思いませんか?ここに提供者としての才能を持った方がたくさんいることをご理解いただけるとと思います。

併せて障害の分野だけでなく、これからはインターネットで解決ができることが多くなればなるほど多くの人が抱えている「生きずら」や「困っている」ことがことが深く個別化され「どうすれば解消できるか」かがマスではなく個別にカスタマイズされ商品となる為、いろいろな分野で研究開発が進み、ハードが整い、より内面や文化、価値観、ソフト面での「生きずらさ」に寄り添っていくようになっていくのではないでしょうか?

「生きずらさ」に寄り添ったときに「正しい」「間違っている」や「感情論」ではなく、「なぜそういったことが起きるのか?」という視点や社会のシステムという側面から考えてた方が良いかと思います(またこれも別の機会に書きたいと思います)

それを前提にですが、タイトルのある「障害福祉の仕事は難しい」という部分ですが、私達は自閉症スペクトラムや重度の知的障害、身体障害又はそれらの重複障害の方を支援していますがこれらの障害のある方の多くに共通しているのが自分から自分の意思を相手に伝わるように「発信すること」「相互的なコミュニケーションをとること」が苦手な人が多くいることです。それは障害(特性)がゆえ、もともと話をするのが苦手(自閉症の様に概念を言語に変えてとらえるのが苦手、知的障害や身体障害の方の一部には発音に使う筋肉を思ったように動かすのが難しい為発語が不明瞭など)であったりします。自閉所の方一部には場面によっては伝えたかったり、必要な要求を「自傷」といって自分の体を傷つけたり、「他害行為」といって他人を叩いたりする行為しか表現できない状況、状態に追い込まれる方もいらっしゃいます。

「伝えることやコミュニケーションが苦手」ということはこの障害のもともと持っている特性であり、「直す」ということができるものではないということはあらかじめご理解いただければと思います。例えば困ったときに「困った」と言ってもらえなかったら、誰も助けることはできません。世の中には困っていることを「そいつが悪い」「自己責任だ」「家族がきちんと教えなかったからだ」と言う方がいらっしゃいますが多くは「それらをしなければいけなかった」「ならざるを得なかった」背景があるということだと考えられます。

その背景を作っているのは「環境」であり、私達健常者と呼ばれる側に多くの原因もあることが支援をしていると感じることがあります。

例えば「見えないもの」を理解するのが苦手な自閉症の方からすれば、私達がとるコミュニケーションは非常に難解です。よく「私たちが外国にいるように当事者の人は人々が話していることが分からない」と研修などでも説明しますが、それぐらい「言語」というもでの情報収集やコミュニケーションには多くの事柄を理解した上で行われているということが分かります。その言語自体の理解がまずあり、の背景があり、人間関係の背景があり「非言語化されたもの「文化」や「関係性」なども含まれていると余計に複雑化しています。

なので自閉症支援ではよく使われているTEACCHやPECSといったツール、手段(ここもどこかでお話しします)を使い、一部身体的な介助はありつつも「分かりあえる」「より良いコミュニケーションがとれる」という「環境」をいかにつくるかが障害の福祉、特に自閉症や重度障害者の仕事であるのかなと思います。

これからは情報技術やIOTが進めばこれらの環境ももっと改善されることを考えると「難しいけどまだまだ開拓の余地のある仕事」「分かりにくいことがより分かる仕事」としてこれからこの分野で働き始める方には「楽しめる仕事」ではないかなと感じるのであります。

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