人は言語以上に文化的背景が必要

こんにちは。下里です。

今日は支援や介護が自動化されても人の支援は必要なのか?ということを考えたので綴っていきたいと思います。

先日、某医療機器メーカーの職員さんと話をしていて面白い話題になったのでそれも入れてみます。

何やら介護の業界では、海外からの介護実習生や介護労働者を受け入れていて、介護施設の介護員が日本人より外国人が多くなっている施設があるそうで、お年寄りと外国人介護労働者との会話の際に普段の介護に関するやり取りや簡単な挨拶など一通りの仕事で話す会話はできるものの、「今日の相撲は誰が勝った?」「この歌は〇〇さんのあの頃の歌よね」と言った「文化的背景のある会話」ができずに利用者のお年寄りが物足りさを感じてしまうそうです。

介護という側面から見ればオペレーション上にあるコミュニケーションで十分かもしれませんが、日本人はサービスに過度に期待してしまう側面と文化として「言わなくても分かる、通じ合う」という感覚や人の流動性がもともと少ない地域などの相手と似通った価値感を、無意識のうちに求めてしまっているのかもしれません。

また、介護ロボットが普通になってきていて、尿意が来たら職員に通知を送ったり話し相手になってくれるロボットもあるそうですので、見守りや接触する時間も少なくなってきて、普段はAIで「日本人スタッフとは1日に一回会話をすれば満足できるという時代がすぐ来るかもしれませんね」ということを結構リアルに話しました。

特に同じ介護という部分で見ると老人介護も障害福祉の介護部分も「食事」「排泄」「更衣」「整容」辺りは人手を必要とするところで、ここがロボットに置き換わったりできると、介護労働者の怪我の予防や身体的負担、家族介護者負担も含めて肉体的にも精神的にもストレスは減ると思われます。

そうすると先程の事例の通り、直接援助の現場で利用者、職員間の対面で最後に残るのはコミュニケーションなのかなと思います。もちろんどこかに属するという所属感などもあるでしょうが、ライフステージが変わってサービスの変更や利用場所の変更の流動性もあったりするので、残るのはやはり人との生きたやり取りでしょう。

利用者さんが一人で余暇や身の回りのことができても多分多くの人は通所場所に通ったり、入居型施設で過ごすということ(カバーする援助の幅が大きくなるということでもあります)が、当事者の方からは無機質な援助ではなく人間らしいコミュニケーションを求めていることを現場では感じます。

特に知的障害を伴ていれば分からないことから来る不安や児童など自我の未成熟さももちろん大きな要因なのかもしれませんが、やり取り自体の「楽しさ」を求めていたり、やり取りを通して確認するという経験が「安心」や「学習」に役立っているとも思われます。例えばこの場面でのこの行為は良いのか?どう振る舞えばよいかなど社会の中で不文律になっていたり、誰も教えてくれない社会的マナーや法律には書いてあるが読む機会のないルールなどもそれらに含まれるかもしれません。もちろんそこには利用者も支援者との「信頼形成」や支援者の「受容的態度」など相談援助の基本的な技術や態度などはあるかと思いますので支援者側も何が求められているのかを分析する能力が必要になってくるわけです。応用行動分析などではこれらのコミュニケーションの目的を明確にする作業があるかと思いますが、それはまた別の機会に記載しようと思います。

それでもって、コミニュケーターに「文化的背景」を求める事例があることを先ほどの老人介護施設でのケースでも書きましたが、言語が苦手な自閉症スペクトラムの方々も要求だけでなく、部分的にコミュニケーションを(日本語が母語の文化的背景の人とコミュニケーションを取ることを必要としているかどうか?は現場に文化的背景が違う人がいたことが無いので分かりません)必要としているのは同じなのかなと感じます。やり取りをせずとも慣れている人と一緒にいることが安心だったり、楽しそうにする場面を見ますので何か話さなければいけないというより、一緒にいても大丈夫なのだなと理解していただけると良いのかなと思います。

そうすると、文化的背景が同じでコミュニケーション能力のある人が介護福祉の現場では今後さらに必要とされるということになってきますね。

では「コミュニケーション能力」とは何かということを分解していかなければいけなくなりますが、調べれば「相手の話(意図)を聴く」ということと「こちらの意見を伝える」という情報伝達上のやり取りということもありますが、語源をたどったり、本質的には「社会的な関係性を構築する」や「相手と情報、意思、感情を共有する」のが目的なのかなと思います。

福祉という仕事でこれを表現すると更に「相手の背景を理解した上で」というのが追加されるので、より相手を理解する、知ろうとする態度や努力が求められるということです。

もともとコミュニケーション能力がなくとも相手のことを理解する努力をすれば背景を理解する能力としては向上するので、支援者自身の努力次第でここは何とでもなるのが福祉の仕事かもしれません。その能力をベースにコミュニケーションをしていけば、本来のコミュニケーション能力も引っ張られて上がっていたりします。相談援助や面談技術などはこれらのスキルも必要ですからですね。なので逆に言えば相手のことを想える人であれば福祉の仕事をすることでコミュニケーション能力を上げられるという現象が起きますね。たぶん私もそっちだと思います。

だから、コミュニケーション能力に自信のないけど、人のことが好きな人や困っている人のことを親身に考えたりできる人は福祉の仕事をしてもらえるといいですね。努力次第ですごく成長できると思います。

結論としては、どれだけ支援や介護が自動化しても人を対象としている以上、必ず人と人とのコミュニケーションが必要である、そして福祉のコミュニケーション能力は人のことを想える人が強いということですね。

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