家族で一緒に生きる。家族も自分の人生を生きる。

こんにちは、下里です。

さて、今回は障害のある子どもがいる家族は不幸なのかということについて書いていきたいと思います。

結論から言うと、自分の実感としては、先の事は分からないが今のところ「幸せ」です。

あなたも家族に障害のある人がいる方から障害福祉の仕事をしているんでしょう?と言われそうですがそうではありません。

元々福祉系の大学を出て施設で働いていましたし、自分たちで団体も作りました。結婚して長らく妻との間に子どもができなくて検査をした結果、自分の体の都合で子どもを授かることはできなかったのですが、特別養子縁組の団体を通して、現在2人の女の子を育てさせていただいています。

特別養子縁組=戸籍上は実子なので「育てさせていただいている」と書くと何か腫れもに触るように聞こえますが、生まれて数週間後には一緒に過ごしていますので血の繋がりより家族としていることをどれだけ考えたかということと、子どもに恵まれなかった私たち夫婦に「託してくれた生みの母」の存在が大きのだと感じています。因みにその特別養子縁組の団体は東京にある「認定NPO法人 環の会」というところです。望まない妊娠をされた女性の方の相談や子どもを託したい方へのケースワークは本当に丁寧にされていますし、子どもが育ての親のところへ迎えられた後から成人を迎えるまでも子どもを尊重して関わってくださっています。この話題はまた別のところでするとしましょう。

生みの母が私たちを選んでくれたから本当に嬉しくて、大切に育てさせていただいていますが、お互い人間だしまだまだ未熟なので親子喧嘩も当たり前にしています。そんな中でも長女は筋力やバランス感覚が弱く(低緊張やボディイメージが弱いなど知的障害によく見られる特徴)2歳半過ぎまでハイハイしていましたし、忘れっぽかたり苦手なことが多く、手先の不器用さもあり、お勉強も苦手です。就学前から1年程度の遅れはお医者さんから言われていて、現在2年生ですが小学校では特別支援学級です。

だからこそ、勉強とか概念的な見えないことは「ああやっぱりこれは苦手なんだな」とかも利用者だけ見ている以前より思えるようになりましたし、反面すぐに怒って妹を叩いたり、物を投げたりすることには「イライラしても守ってもらわないと困る」といったような他人を思いやる事に対しては譲らないなどお互い試行錯誤して日々繰り返している状態でもあります。イライラするのは理解する力に遅れがあるので、こちらが理解してあげて他の方法や刺激の量をコントロールするのは基本にあるのですが、人としてダメなものは覚えていけるようにお互い向き合うべきだと思っています(今ならまだ育つ時期だと思ってますので)

今でもこれだけ分からないことで本人は苦労しているのだから将来も少なからず苦労はするともいますが、この苦労をわかってくれる人がいるようにできたら良いと思います。それには本人がどれだけ手伝ってもらっても嫌と思われない何かを持っているか、言い換えれば「コミュニケーションをとっていて相手に好かれるようになるか」ということが大切ではないかと確信するようになりました(以前からも可愛いと思われる障害児の方が支援をよりスムーズに受けられているということを感じていた)

人に好かれるコミュニケーションとは何かと言われると何かというと要素は色々あると思いますが、「表情」であったり、「心の穏やかさ」でもあったり、悪戯好きな「子どもらしさ」や「過敏すぎない」とかもあるかもしれません。いろいろな事に触れ、経験をして視野を広めたり、文化的な事に触れたり、穏やかな家族の中で育ったりなど影響するもの、環境は様々だと思いますが健常児以上に愛されたお子さんは一緒にいるだけでそう言った事が伝わってきます。

逆に言えば特性上、社会性やコミュニケーションに苦手さを抱える自閉症のお子さんで過敏さがあると親御さんの希望とお子さんが望むものの違いがあってここの部分は理解しあえるまでがゆっくりであったり、苦労するところになってしまうでしょう。

特に自閉症の特性で人に役割決めをしてしまい、特に母親を「使ってしまう」ような状態になってしまうケースもあるのでコミュニケーションを上手に取れるようになる支援をしていかれることは重要になってくると思います。人の心や感情は見えませんし、それを理解する苦手な自閉症のお子さんに押し付けてはダメで一人一人に合わせてどう説明したら「理解したらしてくれるか?」「どうゆう行動ややりとりが好ましいか?」を考えて提案していかないと改善には向わないと思います。伝える方法は親子のような2者間でわかるジャスチャーや行動で示すのも良いのですが、最近はツールが標準化して来ていてPECSや簡単な絵カードコミュニケーションもありますし、第3者に分かって使われやすいことの方がおすすめです。

怒鳴ったり、怒ったり、従わせるよう仕向けると逆効果になるので、やってみてうまくいかなければアプローチを変えて行ったり、家族以外の違う人にも手伝ってもらうことが長い目で見ると本人の力にもなっていたりするので、協力してできる体制をとってもらえると良いですね。

で、話は長くなりましたがそんなコミュニケーションの工夫をさせてくれる障害のあるお子さんたちは関わりとしては難しい部分もありますが、ある意味支援者側としては面白くて飽きませんし、学ぶことも多くて人間の魅力・不思議さを感じ勉強になります。一人一人が一緒にいて本当にありがたい存在だと思っています。大変な状態になるお子さんも中にはいらっしゃいますが、子どもたちが大人になるまで、大人になってもおつきあいさせていただけている事に感謝と育てている親御さんの強さに尊敬することも多々あります。

余談になりますが、一時期放課後等デイサービスが隣の市に増えすぎて私たちも一事業所を閉鎖せざるを得なくなって閉所したことがあります。開所して8年の間に障害児と家族を取り巻く環境が大きく変わったのです。その際は、子どもたちにもご家族にも大変申し訳なかった気持ちになりまし、怒られもしました。来ていてくれていた子どもや子どものことを一緒に考えさえてくださった親御さんとも会えなくなるのは寂しいものです。事業者も事業所を維持や発展させるために努力し続けないといけないことをその時学ぶことができました。

話は変わって後半部分の「自分の人生を生きる」という部分ですが、お子さんを育てなければという自責の念が強すぎて抱え込んでしまったり、職員にうまく頼れなかったり、職員を信用できず支援を任せられないケースも情報が少ない契約制度以前はよく見られました。今でこそ放課後等デイサービスが増えて、人に託すことが当たり前という前提のもとでサービスを選ぶ時代になってしまいましたが、「福祉」をしないサービス事業者も増えてきている残念な実情もあります。お子さんが享受するサービス、親御さんが享受するサービスと同等に「この子らの幸せ」(糸賀一雄風)を考え、育ちを保証し、支援を構築ることが児童期の支援ではないでしょうか?

サービスがない時代は親が丸抱えでした。サービスが増えたら家族の時間が減りました。ではなくその時代にあった親と子の距離感の中で育っていくことが望ましいのではないでしょうか。

日本はまだ子育てに母親の負担が大きいのですぐには来ないのかもしれませんが父親が育児や家事に参加する時間がもっと増え、社会(世の中の雰囲気や仕組み)が女性を大切にして母親も自分の職業キャリアを諦めたりせずに良くなって欲しいし、子育ての手が離れてくれば人生の次のステージや自分のやりたい事に集中することも必要だと思います。

障害のある人の人生がライフステージに合わせ親御さんの手を離れノーマルな環境になっていけるように、支援が小さいうちから的確に分析され必要な支援が行き届き、障害があってもなくても家族が幸せに暮らせる状態に持っていけるように次の事業所ではもっと努力したいと思います。

今できることは地域で、現場でよくしていくこと、自分の周りの人に理解していただき理解者、協力者を増やすことです。背伸びをせず積み上げていきたいと思います。

明日はいよいよ第2回の住民説明会と地鎮祭。写真もアップしたいともいます。


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