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ワールドカップ歴代得点王

FIFAワールドカップ各大会の得点王に輝いた選手たちは、サッカーの歴史に残る偉人としてその名を語り継がれていく存在だ。

ワールドカップ1大会の最多得点記録は、今は亡きジュスト・フォンテーヌが保持している。フランス代表ストライカーは1958年スウェーデン大会で、わずか6試合で13ゴールという数字を残した。


1930 FIFAワールドカップ ウルグアイ

得点王:ギジェルモ・スタービレ(アルゼンチン)

得点数:8

優勝:ウルグアイ


ワールドカップの初代得点王はアルゼンチンのスタービレ。
4試合で計8ゴールを挙げた(彼が代表チームで出場したのはその4試合のみ)。
だがラ・アルビセレステは南米のライバル国ウルグアイとの決勝に4-2で敗れる結果となった。


1934 FIFAワールドカップ イタリア

得点王:オルドリッヒ・ネイエドリー(チェコスロバキア)

得点数:5

優勝:イタリア


1962年大会決勝でブラジルと激突したチェコスロバキアの快進撃はよく知られているとしても、第2回大会で栄冠まであと一歩に迫ったことを知っている者は多くはないだろう。
その躍進の原動力となったのは左サイドのフォワードだったネイエドリー。ラウンド・オブ・16と準々決勝でのゴールに続いて、準決勝ではハットトリックを達成してチェコスロバキアを最終決戦に導いたが、開催国イタリアに惜しくも敗れる結果に終わった。


1938 FIFAワールドカップ フランス

得点王:レオニダス(ブラジル)

得点数:7

優勝:イタリア


フランスで開催された第3回ワールドカップでは、わずか18試合で実に84点ものゴールが生まれた。ブラジルがポーランドに6-5の勝利を収めた大激戦では、セレソンのFWレオニダスがハットトリックを達成。その後も好調を維持した彼はチェコスロバキアと引き分けた準々決勝および再試合でもゴールを挙げ、スウェーデンを下した3位決定戦でも2得点を加えた。


1950 FIFAワールドカップ ブラジル

得点王:アデミール(ブラジル)

得点数:9

優勝:ウルグアイ



戦後最初のワールドカップはブラジルでの開催となり、ウルグアイが2度目の優勝を飾る。
最後はグループステージ方式で王者が決定された大会だった。
ブラジル、スペイン、スウェーデン、ウルグアイの4チームが勝ち残った最終決戦のなかで、ブラジルのFWアデミールは計6得点を記録。
予選グループでの3点を合わせて計9得点とした。
だが彼の奮闘も実らず、最終ステージで3戦全勝を飾ったウルグアイが2度目のワールドカップタイトルを手に入れた。


1954 FIFAワールドカップ スイス

得点王:シャンドール・コチシュ(ハンガリー)

得点数:11

優勝:西ドイツ



ハンガリーのスーパースターは、この時点では大会記録となる11ゴールを挙げ、1954年大会で母国を準優勝へと導いた。
ホンヴェード所属のコチシュはスタートから快調。韓国を9-0、西ドイツを8-3で粉砕した2試合で計7ゴールを叩き込んだ。
さらにブラジル戦とウルグアイ戦でも2試合連続2得点を記録し、ハンガリーは決勝へ進出。だが残酷にも西ドイツとの再戦を3-2で落とし、マジャールのワールドカップ制覇の夢は絶たれた。


1958 FIFAワールドカップ スウェーデン

得点王:ジュスト・フォンテーヌ(フランス)

得点数:13

優勝:ブラジル


フランスサッカー界の偉人であるフォンテーヌは国内で面白いようにゴールを量産し、1958年スウェーデン大会で世界の舞台に立った。
ここで彼は、現在まで1大会の最多記録として残る13ゴールを叩き出した。フォンテーヌはまず、パラグアイに7-3の勝利を収めた試合でワールドカップ初ゴールを含むハットトリックを達成。
続いてユーゴスラビア戦で2得点を挙げ、スコットランドを2-1で下した試合でも決勝ゴールを記録した。
これで計6得点を挙げたが、まだまだ止まらない。
北アイルランドを4-0で破った準々決勝でも2得点。準決勝のブラジル戦でも1-1の同点ゴールを挙げたが、主役の座を奪ったペレがセレソン(ブラジル代表の愛称)を5-2の勝利へと導いた。
しかしフォンテーヌはまだ終わってはいなかった。
西ドイツに6-3の勝利を収めた3位決定戦では4ゴールを叩き出し、衝撃的な形でワールドカップを締めくくってみせた。


1962 FIFAワールドカップ チリ

得点王:アルベルト・フローリアーン(ハンガリー)、ワレンチン・イワノフ(ソ連)、ガリンシャ(ブラジル)、ヴァヴァ(ブラジル)、ドラゼン・イェルコヴィッチ(ユーゴスラビア)、レオネル・サンチェス(チリ)

得点数:4

優勝:ブラジル


アルベルト・フローリアーン


ワレンチン・イワノフ


ガリンシャ


ヴァヴァ


ドラゼン・イェルコヴィッチ


レオネル・サンチェス


1966 FIFAワールドカップ イングランド

得点王:エウゼビオ(ポルトガル)

得点数:9

優勝:イングランド


エウゼビオ

1966年大会での3位フィニッシュという結果は、現在でもポルトガルにとってワールドカップにおける最高成績となっている。
エウゼビオのけん引するセレソン・ダス・キーナス(ポルトガル代表の愛称)はグループ3を完璧な戦いで首位通過。
準々決勝ではエウゼビオの4得点により北朝鮮を5-3で退けた。
準決勝ではPK戦でイングランドに敗れたが、3位決定戦でソ連に勝利。
エウゼビオは歴代4位タイとなる計9得点を叩き出した。


1970 FIFAワールドカップ メキシコ

得点王:ゲルト・ミュラー(西ドイツ)

得点数:10

優勝:ブラジル


ゲルト・ミュラー

ワールドカップ1大会で二桁のゴール数を記録した選手は歴代わずか3人。
ゲルト・ミュラーはメキシコ大会で10ゴールを挙げ、ジュスト・フォンテーヌ(1958年スウェーデン大会で13得点)、シャンドール・コチシュ(1954年スイス大会で11得点)の仲間入りを果たした。
グループステージでは2試合連続ハットトリックを達成し、前回王者イングランドとの試合でも決勝点。イタリアに4-3で敗れた準決勝でも2得点を挙げた。


1974 FIFAワールドカップ 西ドイツ

得点王:グジェゴシ・ラトー(ポーランド)

得点数:7

優勝:西ドイツ


グジェゴシ・ラトー

ラトーは通算100キャップ45得点と輝かしい代表キャリアを過ごし、1974年大会と1982年大会で2度のワールドカップ銅メダルを獲得した。
1974年大会ではグループステージのアルゼンチン戦での2得点、ブラジルを1-0で破った3位決定戦での決勝点などを含めた7ゴールを挙げている。

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