見出し画像

安易に定年後を定義してはいけない

定年退職してから膨大な有り余る時間に翻弄されていたころ、年老いても精神は若いままだった。これ幸いにはしゃいでみたものの、心に住み着いた空虚は消せなかった。Never Young Beachは懐かしかった。どことなくぼくらの青春に似ていた。Asian Kung-fu Generationもぼくらの生きづらさの経験と似ていた。いくぶん頼もしく思ったが、満たされるはずもないことは分かっていた。結局今ここにたどり着くのだが、ここまでの経過が忘れ去られている。思えばあれから失ってばかりいる。中学や高校からの友人は結局一人もいなくなった。いなくなってみて身軽になっているのを感じているから、良かったのかもしれない。

サルトルの「自由への道」も、野間宏の「青年の環」も、ジョイスの「ユリシーズ」も読み終わって、これまで挫折していた読書を復活させた。ある意味、それが自分を見失わせたかもしれない。もっとジタバタして模索しているべきだったかもしれない。安易に自分の定年後を定義してしまったかもしれない。もう一度、やり直そうか?再び生きづらさに飛び込んで、ウクライナに続く空を見上げて兵士のような日常と連帯しようか、、、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?