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実存感覚とは

実存とは端的に文学空間と生活空間の混在のことだ。小説の登場人物のように生きることだ。今日の実際の行動でぼくは実存の中に生きていたと思う。日常の生活ベッタリではない気分で自分を取り囲んでいる。だからどこかで非現実に半分浸かっているような感覚がある。昨日と同じようでどこかが新しくなっているような現実感覚なのである。これは新しい発見だ。身体と世間的状況は老人なのだが精神は若いままだ。おそらくサルトルは死ぬ直前まで若かったと思う。この感覚を大事に育てたいと思う。この感覚のままで生活してみよう。何か発見があったらこのブログに書いていきたい。、、、思い出したけど、これって本当の「日常生活の冒険」だ、きっとそうに違いない!

時間は目に見えない。現代人は目に見えないものを信じない傾向がある。世はルッキズムにある。見栄えが重視される。でもぼくは目に見えない方を重視する文学派だ。大切なものはみんな目に見えないとする、星の王子さま派だ。あるいは批評という文学作法を発明した、小林秀雄派だ。小林秀雄は文学の領域は時間でできていると直感して、ベルグソンを研究したに違いない。

ぼくは高校2年の時、10日ほど登校拒否をしていたことがあった。世界文学全集を読み耽って内部にぼくなりの時間ができて、受験勉強に流れる外部の時間とかなりのズレを生じていた。そのズレの感覚が今では愛しいものに思える。実存的に生きると書いたことで、それは内部時間に生きることに通じていると気づいた。


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