事件と閉鎖病棟の実態について1
私は覚醒剤取締法違反の疑いで拘置所にいました。半分巻き込まれ事故です。証拠不十分で不起訴となった後、自宅に戻りましたが、元々精神疾患があった中でのストレスやショックによる幻聴幻覚妄想は拘置所内でもあり自宅に戻っても悪化して行く一方でした。
幼い頃から家族とも折り合いが悪く、所謂機能不全家庭で育ち親とは疎遠でした。
友人が訪ねてくれたり、行きつけのホストクラブがあり彼らの助けを借りたり、訪問看護や長年通っている信頼しているメンタルクリニックがあり受診して両親の仕送りで生活していました。
が、妄想幻聴などの症状がひどくなり、全ての物事に意味があると捉えるようになりました。
拘置所では今までなかった症状が出ているため医療にかかりたいと強く希望しましたがすぐには叶えてはもらえませんでした。
私の名前は18番でした。
水が欲しいときや用事があるときは「18番○○お願いします」と言って警察官に伝えます。しかし対人恐怖症だった私はそれが出来ず、困っていることを伝えました。すると「入り口の近くに立っててくれれば私たち気づいたら行くから」と言ってくれました。だんだん慣れてそれが言えるようになった頃から幻聴は強くなりました。
まず最初に拘置所内にいた被疑者が排泄欲を訴えて死んでいくという妄想でした。妄想というにはあまりにリアルです。私には確かに聞こえていました。
食事にカクテルという名の幻覚剤を混ぜられていると知り食事拒否をしたり、水分を与えないように制裁を加えていると知りトイレットペーパーを湿らせて口を潤したこともありました。
また、食事拒否の際にはゼリーやジュースが与えられるようでしたが“覚醒剤ゼリー”と言っているのを聞き、食事拒否をしても「ゼリーなら食べれる?」と聞かれてもさらに強く拒否するようになっていました。
そのうち深夜には必ず拘置所(刑務所だと思っていたのですが)の人たちが嫌がらせをするため、また蠱毒をやっているという妄想に囚われるようになりました。
非常に生理的嫌悪感をおぼえ、鳥肌が立つような声とトーン、またリズムで「ウーフフ、フフッ、ウフフッ」と聞こえ続けたり、警察官たちが私の荷物や携帯を処分するという幻覚を見ていたのです。それはリアルで、実際に目の前で起こったことと同じ感覚でした。
ある日、幻聴で指示をされていた司令室の2人という人物から「あいつらもグルだから私たちが来るまで息を止めて」と言われ、吐いても息を止め続けたりしました。髪が汚れて不快だったことを覚えています。
国選弁護人には“非違事案”(漫画で読んだ警察の不祥事が自分の身に起きていると思っていました)だと訴え、どうか精神鑑定をして欲しいと言い続けました。黄緑色の被疑者ノートにも伝えたいことを書き、面会の際に訴えました。毎日自分に起こっていることを誰かにわかって欲しい、と思って注意深く行動していました。例えば服を取り上げられるとか、もう拘置所内の人間は全員死んでしまったなどという妄想が現実に起こっているかのように感じられたのです。
ある朝、勤務交代で出てきた警察官が「みんな死んでる」と言った言葉を聞いてから妄想幻覚幻聴は強くなっていくばかりでした。不思議と朝になって布団を元の場所に戻すときには全てが”まとも”になっているのです。
そこからは記憶が途切れているのですが、また幻聴に指示されトイレの隅に隠れて(拘置所内では長時間トイレに篭ることは禁止されていました。精神疾患があるらしき被疑者の声などがうるさくてトイレに篭っていたところ注意されました)いるうちに意識障害などが起こり、どうやら病院に運ばれたようです。
「ちょっと痛いことするよ」と言われて左手の親指を強く押されたような感覚を覚えていますが、私は爪を剥がれたと思っていました。車椅子に乗せられながら久しぶりに外の風を感じました。そこで看護師さんに髪を洗ってもらったり、車椅子でトイレに連れて行ってもらったり、久しぶりにトレーに乗ったご飯茶碗と味噌汁がついていておかずが別の器に乗っている食事を摂れたのが印象的でした。
外に悪い人たちがグルになって何か計画していると思い怯えながらの生活ではありましたし、時折訪れる警察の人たちと闘っているうちに個室に移動になりました。
そしてどういうわけか、3人の男性警察官が病室に入ってきて全てを諦め無言でいると、男女1人ずつの刑事さんが来て、
「私たちも忙しいんだから早く書類書いて家に帰るよ!」と言われ保釈になったのです。
そうして自宅に戻されたわけですが、運悪くauの通信障害と重なったことや機種変換によるデータ移行の失敗から解離後の記憶を取り戻せなくなり、また、自身でもパスコードを忘れてしまい携帯の機能がセキュリティロックされ時間しか見られない状態で妄想などの症状がどんどん悪化して行きました。
また解離性障害があり、記憶も定かではなく、慣れない環境で不安定になっていた後遺症ともいえました。しかし、自傷他害の恐れはありませんでした。他害なんてとんでもないことです。人を傷つけようとする意思は全くありませんでしたし、自分の元の暮らしに戻りたい一心でした。
そんな中、一人暮らしで幻聴が大音量になり、どれくらいの音量で喋るのが適切かわからなくなり、殺されるという妄想から近所のコンビニに行き電話を借り、最後に両親を信じてみたわけです。
が、それが間違いでした。
認知症のように見える父は車で4時間かけて私を迎えにきましたが、とても頼れる様子ではありませんでした。
そこで最寄りの警察署に父を保護してもらおうと徒歩で向かったわけです。
すると父が勝手にいろいろ喋り出し、今病院を探していると警察にも言われました。なんとおぼつかない父の運転で山奥へ連れて行かれ、何も告げられないまま挨拶もないまま父は車に乗って帰っていったのです。そして医療保護入院となったそうですがそれを知るのはもっと後の事です。
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