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荼枳尼天(だきにてん)

荼枳尼天

荼枳尼天は、元々インドの夜叉で、人肉を食べるとされていました。それが、仏教に取り入れられ、改心して仏・菩薩の眷属となりました。日本では、真言密教を通じて伝えられ、胎蔵曼荼羅の外金剛院・南方に配せられています。その後、菩薩や神に昇格し、白狐にまたがる天女の姿で描かれるようになります。見出しの画像は、荼枳尼天です(出所:ウィキペディア)。
荼枳尼天による「荼枳尼天の法」は、願望をかなえてくれると言う素晴らしいものです。荼枳尼天の出自が出自なだけに、その効力は絶大なものとされています。ただ、その反動も怖い気がします。実際、荼枳尼天の御利益を受けながら、その信仰を止めてしまうと、祟りがあるとされています。ただ、どういう祟りなのかわかりません。

胎蔵曼荼羅・外金剛部院(出所:ウィキペディア)

藤原忠実と荼枳尼天

『古今著聞集』では、関白藤原忠実が荼枳尼天を信仰したことが記されています。藤原忠実がある願いをかなえようと、修験僧に荼枳尼天の法を行わせました。その後、忠実が昼寝をしていると、夢に絶世の美女が現れ、忠実が思わず女の髪をつかむと髪は切れてしまい、目が覚めました。手に残った髪を見てみると、なんと狐の尾でありました。その後、忠実の大望はかなえられたそうです。
忠実は、藤原家直系でしたが、失脚と復帰を繰り返します。この荼枳尼天の法で、政権に返り咲いたのかもしれません。でも、最終的には、保元の乱の敗者となり、幽閉の身となっています。もしかしたら、荼枳尼天の御利益を受けながら、その信仰を止めてしまって、祟りを受けたのかもしれません。

保元・平治の乱合戦図屏風(出所:ウィキペディア)


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