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なぎさんとのお別れについて/ペットロスな家族へのメッセージ

今日、愛猫の「なぎ」が死にました。

まさに、死にました、という感じでスーーーッと逝ってしまいました。

家族全員で泣きました。

ボク自身は、泣いている家族に泣いたという感じでした。

なぎには、これまでの感謝しかありませんでした。
 
 
そのことを自分のFacebookで報告がてら話したところ、ペットロスの記憶を語ってくれる友人がいました。

その記憶を癒せればと、その方にも下記のメッセージ「なぎさんとのお別れについて」をシェアしたところ、なにかの役に立った様子でした。

ですので、世の中にもシェアしたいと思います。

我が家同様、愛するペットが亡くなったことを悲しむ自分からの回復がその方にとってのスムーズな形で進むことを祈りながら。
 

* * * * * * * * * * * *
 

家族向けの内容だったので、下記のように変換しています。

自分の人間関係に当てはめて読んでみてください。
 
 
なぎさん=拙宅の愛猫の名前です

〇〇〇〇=ムスメの名前をブランクにしてあります

◇◇◇◇=ムスコの名前をブランクにしてあります

オトウ=父親のことです(ボク)

オカア=母親のことです(妻)
 
 
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なぎさんとのお別れについて


2021年1月2日11:00頃に、なぎさんが旅立ちました。

このことについて、オトウなりの所感を残しておくので、それぞれが必要なタイミングで読んでみてください。

落ち着いてからでもいいし、もし忘れてしまったら最終的に読まなくてもOK。

ただ、死は誰にでも来るものだし、おそらく、オトウやオカアの方が、〇〇〇〇や◇◇◇◇よりも早く死ぬと思うので、これを機に、「死とはなにか?」ということを考えてみてください。

これは、なぎさんが残してくれた、貴重な機会ですから。
 
 
結論的に言うと、「誰かの死」は喪失ではありません。

喪失感があるのは、それは「自分にとって大切なものを失ったと思っている自分」が存在するからです。

そのこと自体はとてもいいこと。

大切なものが存在していて、その大切なものとの時間と経験と思い出の共有があったという貴重な体験だから。

でも、「誰かの死は、自分の喪失」ではありません。

むしろ、「誰かの死は、自分がその相手から得たものを確認する機会」です。

難しい言い方をしたけど、なぎさんの死は、「なぎさんから自分がなにを得たかを確認する(確認できる)機会」ということです。

そこに価値があるし、そのことをすることがなぎさん(の魂)にとって最も嬉しいことです。

それは、なぎさんが石丸家に来て、生きた意味が発生するから。

みんなそれぞれ、「なぎさんからなにを得たか」を思い出してみてください。

それが、「自分にとってのなぎさんの意味」です。

そして、それが「なぎさんからの自分への愛」であり、同時に、それだけ自分がなぎさんに愛情を注いだ証です。

それが確認できることが、「誰かの死」という機会なので、今の悲しみが終わった後でいいので、じっくり、ゆっくり考えてみてください。

そうです。

与えられたのです。

なぎさんからたくさんの愛を我々はもらっただけ。

そして、なぎさんは、身体の寿命という誰もが持っている時間制限とその役割を終えて、天に帰っていったのです。

だから、なぎさんには感謝しかないよね。

ほんと、ありがたい存在で大切な存在だったね。

そう思えたなら、なぎさんも嬉しいと思う。

なぎさんを思い出したら、「ありがとう」って言ってみてね。

なぎさんの魂はとても喜ぶから。
 
 
そしてもう一つ。

「誰かの死は、生者への可能性の明示」だということ。

なぎさんの愛と癒しは、みんなを成長させ、それぞれの道に進めることを拓いてくれました。

特に、〇〇〇〇や◇◇◇◇が次の道に進めたのは、間違いなくなぎさんの癒しがあったから。

そう思うでしょう?

なので、悲しみが終わったら、自分の可能性を拓いていくことに再び集中してください。

それが、なぎさんを最も喜ばせて、最も供養することになるから。

なぎさんと共にあった時間は、なぎさんがいなくなった後のためでもあったことを忘れないでください。

そのことを忘れないことが、なぎさんとの時間にさらなる意味と価値を与えてくれます。

それはこれからの時間でつくっていくことです。

もうわかると思うけど、「今を精一杯生きること」が我々残された生者にできることです。

死んでしまったらできなくなることが、生きている今ならできる。

とにかく、それぞれが「今できること」「今しかできないこと」にフォーカスして、それを実際に「する」ということが生者としての使命と言えます。

どんな人も、どんな動物も、死んでしまったらそれはできなくなる。

死んでしまってから、「もう少しやっておけばよかった」と思っても遅いからね。

なので、なぎさんを失った悲しみが少し癒えてきたら、いつも通り今まで通り、いや、今まで以上に「今を生きる」ということを懸命にやってください。

それがなぎさんからもらった愛と癒しに対する最大限の恩返しになります。(なぎさんは返す必要はないと思ってるけどね)
 
 
一所懸命に、今を、生きる。

それが、生者が「誰かの死」を超えて、その意味と価値をもらってできることです。

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