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ある休日の夢(2006年)

こんばんは。ホスピタル酒場です。

なんとなく久しぶりにmixiにログインして、昔書いた日記を読み返していました。

2006年、今から14年前に書いた夢日記で、今読み返しても我ながら面白かったのでここにコピペしてみます。当時多少反響があって、この日記キッカケで交友関係が広がったんだったよなぁ〜。


降神のリリックの中にこんなフレーズがある。

「朝起きると僕は泣いていた」

初めてこの曲を聴いたときはビックリしたものだが、おれはもう何度もこの体験をしている。
気が付くと枕が濡れていた、なんてものじゃない。
号泣である。自分の嗚咽で目が覚める。
4年前ぐらいから始まったことだ。


4年前の八月三十一日、当時大学生だったおれは実家に帰る予定だった。
「どうも今日帰るのはだるいな。明日にしよう…。」

翌九月一日の早朝、突然のメール。
神とかいう野郎がばあちゃん子だったおれから大好きなばあちゃんを奪った。残酷なやり口だった。

さよならも言えず、ばあちゃんとは話せなくなった。

自分の泣き声で目が覚める、といったことがあるのはそれからのことだ。
起きると記憶は既に失われていて、どんな夢だったのかは全く覚えていないのだが、ただひとつはっきりしていることは、
ばあちゃんの夢だったということ。


友人のオカンに話して言われたこと 。
「それはあなたのおばあちゃんがあなたのことを心配して、会いに来てくれてるからだよ」

地元の坊さんに言われたこと。
「あなたが涙を流すのは、おばあちゃんが泣いているからなんだ」


なぜこの話を書こうと思ったかというと、たった今、その体験をしたからだ。

最近毎日毎日深夜に及ぶ残業続きで、今週は土日までも潰された。毎日忙しくて休みなんて期待できない。
体がだるい。
今日も休日出勤。思いのほか早く解放され、車に乗り込んだが、やはり眠い…。素晴らしい天候だったが、しかたなくアパートへ戻りしばらく眠ることにした。

………。

そして号泣で目が覚めた。

目が覚めてからも泣き続けた。鼻血まで出た。

今回初めて、夢の記憶があったからだ。


夢の中のばあちゃんは記憶の中のばあちゃんではなく、おそろしく痩せこけていたり、なぜか友人のオカンの姿だったりもした。

でもたしかに、それはばあちゃんだったのだ。

なぜかおれはばあちゃんに背を向け、あぐらをかいている。
本当はばあちゃんに抱きついて、泣いて、いっぱい話したいことがあるのに。

しばらくそんな状態が続いた後、友人のオカンの姿をしたばあちゃんが、背を向けて目も合わそうとしないおれに後ろから抱きついて背中越しに泣き始めた。

言葉は何も発しなかったが、おれにはばあちゃんの気持ちが痛いほど伝わった。

それでもおれは断固背を向け、あぐらの姿勢を崩さない。

どこからか親父の声が聞こえる…

「お前、ばあちゃんがせっかく会いに来てくれたのに…」

その一言で4年間も溜め続けた想いのダムは決壊し、ばあちゃんに抱きついて泣いた。

4年ぶりに会話をした気がした。

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