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覆面調査員~狂気、究極、至高、若しくは孤独~

小生は今でこそ落剝しているが、華族の落胤である。幼少期より里子に出され、辛酸を飲め尽くしてきたが、書や篆刻に天賦の才を見出され、今では、斯界で知らぬ者のない大家なんである。
 書や篆刻だけではない。今度は、食を芸術の域に高める為、一流の料理人を集め、小生自ら素材を吟味した会員制の高級料亭「美食倶楽部」を主宰。政財界の大物たちが会員になろうと先を争うことしきり。高じて、料理の衣装としての器に着目し、陶芸にも手を出すと、そちらでも、瞬く間に時代の寵児になった。言うなれば、順風満帆。小生の絶頂であった。
 それが、だ。
 自分だけなく他人にも厳しい小生の気質が、横暴、傲慢との誹りを受けただけでなく、不透明な会計を追及されて、裸一貫で追い出されてしまった。
 
 その後遺症から極度の人間不信に陥り、浮世から距離を置いて、文字通りの清貧の如く暮らすようになった。
 糊口を凌ぐ為、恥を忍んで、面接不要、履歴書だけで採用される料理屋の覆面調査員のバイトを始めることにした。料理屋を巡った後、既定の質問票に自由回答を添えて、グルメリポートとして提出する仕事である。
 料亭主催の経験からして、料理屋の吟味には自信がある。というか、小生以上の適任者はそうはいまい。そんな小生であるからして、覆面調査員として提出するグルメリポートの内容が悪かろう筈がないのではあるが、何故かグルメリポートの件で、会社に呼び出しを食らってしまった。
 
 狭い会議室に、小生と、会社でのカウンターパートの男とが差向う。先方の態度も無機質な感じで、あまり愉快ではない。
「今日は小生に何のようだ、グルメリポートに問題がある筈はなかろう」
「グルメリポートではなく、覆面調査票ですね」
「同じようなものだ」
「全然、違います」
「見解の相違だ」
「項目に沿って説明しますね」
「よかろう」
「今回ご提出いただいた覆面調査票ですが、入店案内から読みますね」
「勝手にせい」
「1、入店と同時に『いらっしゃいませ』と声が掛かりましたか」
「引き攣った表情で目を逸らして、小声で『いらっっしゃい』語尾は聞き取れなかった」
「2、上記の際、店員の態度は感じのよいものでしたか」
「失礼な奴だ、人を舐め回すように凝視していた」
「3、他の店員もお客様の方を向いて作業を中断(接客中を除く)して、挨拶しましたか」
「逃げるように厨房に消えやがった」
「4、人数の確認がありましたか、また禁煙若しくは喫煙のご案内がありましたか」
「怯えるような声で店長を呼び、店長らしき人物も怯えるような表情で『要求は何でしょうか』と聞きやがった」
「5、座席へのご案内は手招きでなく、座席まで店員が案内しましたか」
「先程の怯えていた店員が警察、警察と厨房に消えやがった」
「次にウェイティングを読みます」
「言われんでも分かるわい」
「6、ウェイティングの際、名前、人数の確認はありましたか」
「とにかく震えながら、『助けて下さい、要求はなんですか』と繰り返すばかりだった」
「7、上記の際、店員の態度は感じのよいものでしたか」
「いいわけないだろ」
「8、長く待った時、何度か店員から声掛けがありましたか」
「客であることをやっと理解しやがった」
「続いてオーダーを読みます」
「しつこい」
「9、オーダーを受ける際、お客様の目を見てオーダーを取りましたか」
「店員は小生を避けて、必死の形相ではあるが、焦点は合っていない」
「10、何か商品について質問をしてみて下さい」
「すき焼きは魯山人風で頼む」
 その料理屋でのやり取りが小生には苦々しく思い出された。小生の要望に対し、店員は確かこう言った。
「大変申し訳ありませんが、それはどのような料理でしょうか」
「責任者を出せ」
「店長は私でございますが」
「なんと、不勉強な」
「申し訳ありません」
「仕方なかろう」
 かように大まかなあらましを目の前の男に伝えると、彼は感想もなく感慨も見せないまま、次の質問に移った。
「11、商品提供は丁寧に(グラス、皿の置き方、渡し方)行われましたか」
「なんとまぁ、器はひどい安物だ。そうだ、それに思い出した」
 小生はの脳裏には、その料理屋での会話が憤懣やる方なく再生された。出てきたすき焼きを見たときのことだ。
「このすき焼きはなんだ、近所にいる犬の肉でももっとましだ」
「当店にはお客様の舌を満足させるような商品はございません」
「とっととすき焼きを持ってこい」
「はい、かしこまりました」
 小生の思いを適当に受け流す体で、目の前の男は質問を続ける。
「食事中に移ります」
「一々説明せんでも分かるわい」
「12、欠けた皿はありましたか」
「コップも皿もプラスチックの安物だ」
「13、レジの打ち間違いはありませんでしたか」
「渡された封筒には一万円札二枚が入っておった」
「もうお分かりですよね、桜河内さん」
「なんのことじゃ」
「惚けるのもいい加減にして下さい」
「だからなんのことを怒ってるんじゃ」
「常識で考えて下さい」
「なんの常識じゃ」
「世間一般の常識です」
「世間一般とはなんじゃ」
「いい加減にして下さい」
「なにを怒っておるんじゃ」
「ハッキリ言わせて頂きます」
「さっきから聞いとるわい」
「桜河内さん、服装はなんですか」
「レザーのライダースーツだが問題があるのか」
「それは百歩譲って良しとしましょう」
「百歩とは大きく出たな」
「桜河内さん、本当にその格好で会社まで来たのですか」
「そうじゃが」
「ニットの目出し帽はマズいです」
「極度の恥ずかしがり屋なもんで」
「仕込み杖はハッキリ言って、銃刀法違反です」
「男子家を出ずれば七人の敵ありじゃ」
「いつの時代の話ですか」
「いつの世でも変わらぬ」
「とにかく、桜河内さんは本日付けで解雇させて頂きます」
「ちょっと待て、話が違うではないか」
「なにがどう違うのですか」
「小生は極度の人間不信と恥ずかし屋だから、面接のないバイトを選んで」
「本日は面接ではありません」
「ちょっと待ってくれ、小生にも生活があるんじゃ。契約解除は勘弁してくれ」
「私には関係のないことです。とにかく、桜河内さんには、このお仕事を任せる訳にいきません」
「求人票には覆面調査員と書いてあったじゃないか。だから小生は料理屋にも覆面で入ったのだ」
 目の前の男は、小生の悲痛な訴えに耳を貸す様子もなく、無礼にも深いため息をついて、目を逸らした。

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