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太宰治100年のたまもの【旧稿より】

 太宰治の作品が、明るく見えてならないのだ。

   たましひの、抜けたひとのやうに、足音も無く玄関から出て行きます。

 戦後の短篇「おさん」の書き出しである。それこそ、夫婦の危機を描いた背筋が寒くなるような書き出しのはずなのだが、言葉の仕草や足どりがきざなまでに鮮やかで、痛快なものとして目にうつるのだ。
 幕が上がると同時に、今宵も外泊するらしい夫を妻が見送るという場面になる。

  私はお勝手で夕食の後始末をしながら、すつとその気配を背中に感じ、お皿を取落とすほど淋しく、思はず溜息をついて、すこし伸びあがつてお勝手の格子窓から外を見ますと、かぼちやの蔓のうねりくねつてからみついてゐる生垣に沿つた小路を夫が、洗ひざらしの白浴衣に細い兵古帯をぐるぐる巻きにして、夏の夕闇に浮いてふはふは、ほとんど幽霊のやうな、とてもこの世に生きてゐるものではないやうな、情無い悲しいうしろ姿を見せて歩いて行きます。

 いわくありげな〈女語り〉の中で、妻の視線の先の夫はいかにも影が薄くふわふわとゆらぐようだが、その頼りなげな「うしろ姿」がそのままきわだち、一瞬、かの伊右衛門の如き〈色悪〉と見えてこないだろうか。なんとも惨めだが、どこかなまめかしさもただよい、大向こうから「待ってました!」(あるいは「行ってらっしゃい!」)と声のかかる一場とさえ見まごうのである。
 妻の目はいたわしげに、かつ、粘りつくように、蹌踉として去ろうとする夫を追い、その凝視の中で「情無い悲し」さを身にまとった当人は、夕空の下、みごと闇に溶け――フェードアウトしていくのだ。
 そう思って見なおせば、冒頭の一文に主語がなかったことにも気づくだろう。あるべき主語「夫」は、長く引き伸ばされた第二文の半ばで、「かぼちやの蔓のうねりくねつてからみついてゐる生垣に沿つた小路を夫が、」とさりげなく、かつ、ひたと指さされているのだ。中身の欠けた衣装ほど手応えのないものはない。まさに「たましひの、抜けたひとのやうに、足音も無く玄関から出て行きます」という言葉の衣が、男の手応えのなさそのままに、不気味なすり足で動いていったのだ。
 つまりは、芝居がかっているということに尽きるのである。いかにも、太宰の小説は芝居がかっている。一挙手一投足にいたるまで、意識しすぎているのだ。だが、それが読者には心地よい刺激ともなるのである。皮肉も絶望もユーモアも、そこでは〈賞味されうるもの〉となっているのだ。
 「おさん」の前には、「ヴィヨンの妻」がある。その冒頭はこうだ。

  あはただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまつてゐるのでございますから、そのまま黙つて寝てゐました。

 さっきのは出がけ、こちらは帰宅場面である。
 これもまた、いわばどん詰まりの夫婦の話といえるのだが、馬鹿丁寧な妻の言葉遣いが、未練と諦め、やさしさと突き放しの両様を含み、色気もあり凄みもある〈女語り〉として立ち現れてくる。ヴィヨン気取りの夫はここでも影が薄いことは間違いないが、より生々しく、無頼かつ粋でもあるように仕立てられているのだ。むろん、卑屈さや滑稽さも充分に加味されている。
 一世一代の思い切った役作りで定九郎を演じた中村仲蔵のように、太宰もここで〈色悪〉の夫を、そしてまたその妻を、精一杯演じている。あるいは、そうした「リベルタン」を演じるよう期待された作家=太宰治を演じているのだ。
 拙著『太宰治』(岩波新書)では、「それら作中の崩壊寸前のようにも見える炉辺(ろへん)の幸福の像に、私はむしろユーモラスで懐かしいようなにおいを嗅ぐのです」とし、「そのただ中からあらわれてくるのは、やや裏返しにめくれ返ってはいますが、やはり父であり夫である、家庭の人の肖像ではないか」と書いて、戦後の太宰の家庭崩壊劇を「裏返しの家庭讃歌」と呼んでみたのだが、そこには、太宰の対家庭意識とともに、なお〈自己劇化〉の衝動も抜きがたくあらわれていることは間違いない。その到達点は、他ならぬ『人間失格』である。
 『人間失格』の冒頭はといえば、主人公の登場前に、まずは「はしがき」の「私」が語り始めるのだ。

   私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

 さりげない風を装いながら、いかにもいわくありげなしつらえで、「その男」=大庭葉蔵の特異性をきわだたせようとしている。ただちに、漱石の『こゝろ』の冒頭、「私は其人を常に先生と呼んでゐた。」と比べたくなる、印象深く強烈な主人公紹介である。
 ただし、『人間失格』の「私」が見たのは、男そのものではなく写真だというのだ。まず写真から始める導入(といって実際の写真が載っているわけではないところがミソである)はいかにもユニークで、うまい。ドストエフスキーの「白痴」で、ナスターシャ・フィリッポブナの写真に見入るムイシュキンを連想してもいい。
 だが『人間失格』のそれは、とんでもない貶めと嫌悪まるだしの紹介となる。

  とにかく、おそろしく美貌の学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きてゐる人間の感じはしなかつた。〔中略〕人間の笑ひと、どこやら違ふ。血の重さ、とでも言はうか、生命の渋さ、とでも言はうか、そのやうな充実感は少しも無く、それこそ、鳥のやうではなく、羽毛のやうに軽く、ただ白紙一枚、さうして、笑つてゐる。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。

 読者は、異様な男に対する興味と同時に、大袈裟な語りの決めつけから、実際はそれほどひどくないのではといった警戒心もそそられつつ、主人公自身の手記へと導かれるのだ。
 「おそろしく美貌の学生」がついに年齢不詳の「廃人」へと変じて終わるという「はしがき」の予告は、誘いに満ちている。しかも幼年時代、学生時代、その後、と三枚の写真がそのまま三冊のノート(三つの手記)と重なり、小説全体のわかりやすい手引きとなっているのである。
 そう思って見れば、『人間失格』は意外にわかりやすい作品ともいえるのだ。地方の素封家の末っ子が神経過敏、自意識過剰、社会不適応で屈折し、都会で酒や女や左翼思想、さらには薬によって身を持ちくずすという話で、作者自身の実生活を連想させつつ、近代文学史上、一典型の創出に成功している。
 そして、そこにあるのは、「はしがき」がいう「造り物の感じ」なのだ。それは、たんに作者の実人生とズレがあるということではなく、まさに小説表現として仕立てられたものだということである。
 さらにいえば、そうした「造り物の感じ」こそが太宰作品の「心づくし」のあらわれであり、その悪ぶりやユーモア、強烈な皮肉と意外な素朴さ、そして〈美談〉の要素などに直結するものと私は思うのだ。
 『人間失格』の「自分」(大庭葉蔵)の人間恐怖や社会からの疎隔感は、愛すべきヒーローであるはずの漱石の『坊つちやん』にもひそんでいる。自分はひょっとして人間たちの社会、世間というものがよく分かっていないのではないか、この世の中で孤立しているのでは、といった不安である。人間の不可解さに突き当たって「何だか訳が分らない」(三)と呟く『坊つちやん』も、結局は清のもとへ帰るしかない敗者なのだ。
 それは、今日も多くの若者がどこかでかかえる不安だろう。そつなく「就活スーツ」を身につけ、不況下を割り切ったような明るさで「前向き」にガンバル若者たちのかかえる疎隔感や脱落感ともつながる。また、「団塊」とくくられ、あとは年金にすがりつくのみと見える熟年世代の苦くも甘い回顧の中でも、ときに古傷のようにうずくのではないか。
 だが、そうした社会的不適応がいかにもユーモラスで軽快な〈語り〉の文体や、肩のこらない快いリズムによってあらわされることで、読者は心地よさを感じることができるのだ。それがすなわち、作品という〈たまもの〉なのである。
 いや、小説だけではない。私は太宰の文章は、エッセイも評論もひっくるめて、どれにもみな読者の気を引こうとする色気がある、と思っているのだ。

   小説と云ふものは、本来、女子供の読むもので、いはゆる利口な大人が目の色を変へて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合ふと云ふやうな性質のものではないのであります。小説を読んで襟を正しただの、頭を下げただのと云つてる人は、それが冗談ならば面白い話柄でもありませうが、事実そのやうな振舞ひを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。(「小説の面白さ」一九四八昭23・3)

 「小説とは何か」というアンケートに答えた戯文だが、みごとな出来である。小説などたかが「女子供の読むもの」であるといい、「利口な大人」や「狂人の仕草」といった語で読者を挑発し、とぼけた口振りも加味して、はて何をいい出すのやら、と思わせるのだ。
 ならば、君こそその「狂人」の一人では、と思わず混ぜっ返したくなるところで、次に続く。

  たとへば家庭に於いても女房が小説を読み、亭主が仕事に出掛ける前に鏡に向つてネクタイを結びながら、この頃はどんな小説が面白いんだいと聞き、女房答へて、ヘミングウエイの『誰がために鐘は鳴る』が面白かつたわ。亭主、チヨツキのボタンをはめながら、どんな筋だいと、馬鹿にしきつたやうな口調で尋ねる。女房、俄(にはか)に上気し、その筋書きを縷々(るる)と述べ、自らの説明に感激しむせび泣く。亭主、上衣を着て、ふむ、それは面白さうだ。さうして、その働きのある亭主は仕事に出掛け、夜は或るサロンに出席し、曰く、この頃の小説ではやはり、ヘミングウエイの『誰がために鐘は鳴る』に限るやうですな。

 皮肉たっぷりで、みごとに核心をついている。小説とは、元来そうした世人の弄びものであり、気軽に楽しまれる〈話〉の一つに過ぎないのだ、と認識せよというわけである。
 野暮なアンケートの回答に、洒落た小咄を寄せたこと自体が、俗世への粋な反撃ともいえるが、その発表は自死の三カ月前であり、自滅的な連載「如是我聞」の第一回と同じ一九四八(昭和二十三)年三月である。いわば、太宰は最後まで、めいっぱい高座をつとめていたのだ。「グッド・バイ」はもちろん「如是我聞」でさえおかしみがあり、艶がある。
 では『人間失格』は?
 それは、自意識という近現代の「病理」とされてきたものを、巧妙な〈語り〉のうごきへとつなぎおおせたものといえるだろう。深刻かつ滑稽、切実でお道化た、絶体絶命ながらなお行き場あり、といった作品の変幻するうごきの中を、読者は自在に進むよう招かれているのだ。
 そこから見えてくるものは何か。一見異様と見えて、なお、どこにでもありうる孤立者の感覚であり、また、過敏な神経の向こうに際限なくひろがるものとしてのこの世の感触である。さらには、そうした変幻の中で、ついに手放しえないもの――〈自分〉という思いなのだ。
 自意識の劇――すなわち〈自分という驚き〉を、太宰はかくもいきいきと仕立て上げてくれたのである。
 太宰治生誕一〇〇年となった今は、そうした近現代の「病理」の中から表現という花の咲いたことを、まずはことほぐべき時ではないか。むろん、時はひたすら進み、人を死へと運ぶ。自然死も自死も何ら変りはない。わずか数え四十、満三十八歳で逝った作家の、若さからにじむ艶やかな色気を愛でる時が、残されたわれわれにはまだしばしあるのだ。
 とまれ、日本近代の私小説は、田山花袋以来葛西善蔵を経て、おかしみとかなしみの種を身をもってはぐくみ、やっとここまで来たのである。

―『図書』2009/06


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