見出し画像

『私の映画作法』 初出:月刊シナリオ2003年[平成15年]3月号

 

本 文


「映画とプロ野球は誰にでも批評、出来る」と標榜していたのは故・浦山桐郎監督だった。勿論、これは映画が完成し公開された上での話だ。映画を創っている過程に於いては誰にでも批評出来てしまうものは「脚本」と云うことになるのだろう。
 商業ベースで脚本を創る上では大きく二つの方法が採られていると思う。監督と脚本家とが主になって創っていく方法と、監督が決まっていない段階でプロデューサーと脚本家とで準備稿を創っていく方法。前者は、監督企画作品か比較的予算が少ない作品。後者は、全国拡大公開作品の大作やテレビ・ドラマなどに多いようだ。
何れにしろ、監督、プロデューサー、脚本家などの其々の立場からのコンセプトや意見が脚本に集約されていき、稿を重ねていくことになる。場合によっては主演俳優の意見を反映しなければいけないケースもあるらしい。
と云う様なことからか、脚本に関しては、共作と云う形の時だけでなく、何人も作家がいる、と云うケースがどうしても多くなる。「船頭多くして舟、山に登る。」そういうケースも多々あり、私のシナリオ作法、等と長閑なことを云っている余裕さえない場合もあるようだ。

映画の脚本家の条件・三箇条


それはそれとして、本題に入る前に、私が思う映画の脚本家の条件を先ずは上げておきたい。脚本が映画化されていることが大前提だが、
①オリジナルを書いたことがある。②他人の為に書いたことがある。③単独執筆をしたことがある。
これらの条件を満たしていることが私の考える脚本家と云うことになる。お気づきの方もいるかも知れないが、私はこの条件を満たしていない。オリジナルは書いたことがあるが単独執筆ではないので純粋にオリジナルとは云えないし、単独で書いた作品は映画化されていない。何より他人のために脚本を書いたことは一度もない。(他人のために書きたくない訳ではなく、単にオファーが無かっただけ。)

映画監督がシナリオを創る場合の作法


故に、私は自分が脚本家であるとは認めておらず、映画監督として自分の作品のために脚本を書いたり創ってきたに過ぎないと思っている。従って、ここで述べることも映画監督がシナリオを創る場合の作法の一部と云うことになり、御役に立つかどうかは疑わしい。
ともあれ、自分の脳内の混沌を浮遊し、その企画に最適且つ魅力的な具体を探し当て、論理化する。方法論は兎も角、脚本を創るということはそういうことではないか、と固く信じている。出来うれば、その過程で当初は気づかなかったより深いテーマを発見し、テーマに則した斬新なドラマを発見したい、とも思っている。
自分の脳内に潜在している「映画的な記憶」との邂逅を求めての作業。当然、脚本創りの総ての労力はそのことに費やされる。果たして、「映画的な記憶」は残っているのだろうか? と云うサスペンスをもひっくるめて己の脳と対峙し、「映画的な記憶」を昇華させた新しい表現を発見したい。あくまでも目的は発見なのだ。
そのためには一人より二人、二人より三人が集中して同じ空間と時間を共有して論議し、各々の混沌を探索して一つの論理に纏め上げていったほうがより良い発見をする確率が高い、とこれも固く信じている。従って現在に至るまでの私の脚本の創り方は、「舟が山に登る」可能性も強い複数での合宿制・合議制と云うことになる。クレジットに脚本・細野辰興と載っていない作品の場合も創り方は同じだ。

何事にも捉われず宇宙に向かってコンストを創る

ここから先は

1,215字

¥ 100

内容を気に入って戴けましたら、「サポート」より「♡スキ」や「SNS」 などでの「シェア」をお願いします。次の記事をアップする励みになりますので♪♫