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『鬼のイマヘイ』

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恩師・今村昌平監督に関して私が書いた拙文を集めています。
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寄稿 『私の今村昌平監督/関連作品選』初出:「日本映画大学だ!」第5号

解説:日本映画大学の年刊誌『日本映画大学だ! 』の【連載企画「日本映画大学の学生が観るべき1000本の映画」】に寄稿したアンケート文です。明日5月30日の14 回目の祥月命日に合わせて掲載します。 編集部からの趣旨は、「今回のテーマは『私の今村昌平監督/関連作品選』とし、今村昌平が監督もしくは脚本等で関わった作品から挙げていただきます。アプローチはいかようでもかまいません。純粋に映画評として、あるいは、ご自身がスタッフとして関わった経験や、今村監督の思い出など、本学らしい企

過去講演

『日本映画の巨匠たち=今村昌平 人と作品』講演構成数年前に川崎市からのオファーを受けて3人の監督の「人と作品」を何回かに亘り講演しました。この構成は、一番最初に取り上げた『今村昌平 人と作品』の時に創ったモノを土台にしてマイナーチェンジして行った最新版です。5月30日の今村監督の祥月命日が近づいて来ましたので、少しづつアップすることにします。 今村監督との20代での出遭いは、私、細野辰興にとっては人生最大のカルチャーショックであり、「大人の男」との出遭いでした。私の全人格が

寄稿 『追悼・今村昌平監督』 後篇 初出:映画藝術 417号

能書き:私自身も久し振りに前篇として投稿した自分の文章を読み、あの時代、1980年代初頭の「第二期日本映画黄金期」に暫し想いを馳せてしまいました。 今村監督は1979年に『復讐するは我にあり』で8年振りのブランクをモノともせず大復活し、私も就いた『ええじゃないか』を終え、東映と提携して念願の『楢山節考』に挑む直前でした。そこへ、相米慎二監督に預けていた愛弟子である森安健雄さんの失踪事件が・・・。では「後篇」を。 追悼 『今村昌平 森安建雄 二人の恩師との永訣。』後篇   

寄稿 『追悼・今村昌平監督』 前篇 初出:映画藝術 417号

能書き:恩師である今村昌平監督が鬼籍に入られてから今年(2020年)の5月30日で丸14年に成ります。 下の文章は、『映画芸術』417号『追悼・今村昌平監督』に寄稿させて貰ったものです。原文は縦書きなので漢数字の侭にしてあります。 【note】を操作する練習も兼ねて前篇と後篇の二回に分けて投稿します。後篇も今日中には投稿したいと思いますが、先ずは前篇をお楽しみ下さい。       『今村昌平 森安建雄 二人の恩師との永訣。』                       

寄稿 『没後10年  今村昌平監督が遺してくれた挑発的言葉たち  序章』  初出:白山通信 特別号(2016年[平成28年]12月)

解説:日本映画大学が毎年発行している『白山通信』の『没後10年今村昌平監督特集』に寄稿した文章です。『過去講演 日本映画の巨匠たち 今村昌平 人と作品』で触れている項目「隣の小母さんにもドラマがある」の詳細版でもあります。           本 文「今村昌平監督没後10年の寄稿」と云うと襟を正して仰々しく構えがちになるが、突き抜けた人間の生命力を描いた数々の革命的傑作を作り続け、しかも79歳で天寿を全うした今村監督だからこそ、「人間派」っぽく偲んでみたい。 時は1980年