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ケンタッキーの遺骨

祖父の棺桶に副葬品として入れたケンタッキーのフライドチキンの骨が遺骨に混じっているのではと、ふと思った話。

*以下しばらく前置きになります。本題は次の*以降なのでそこまで飛ばしてもらってもOKです。


もう5年も前の話になるのだが、祖父が亡くなった。建設会社(自営業)の社長だった祖父だが、亡くなる1年程前から胃癌を患い病床に伏せていた。徐々に痩せていく祖父を見て私は心が痛んだものだった。

大学に通っていた私に母から今すぐ帰って来いとの連絡が来た。祖父の病状が急変したのだ。父の勤め先が近かったので、共に車で二時間の病院に向かったが、死に際には一歩間に合わず。到着した際にはすでに息を引き取っていた。

親族が亡くなるのは初めてだったこともあって、私は号泣した。眠っているようだなんて到底思えない、最早どうにもならないことが分かりきった祖父の死がそこにはあった。数年振りに涙が零れて、号泣した。

ちなみに家に帰ったら、叔父さんから「祖父さんが死んで泣いてたの、親族でお前だけだよ」と笑われた。なんと薄情な一族だろうか。涙も乾いてしまった。

その後、葬儀屋が来て祖父を棺桶に納棺した。祖父は恰幅の良い人間であったが、1年に及ぶ闘病でさすがに痩せており、とても軽く感じた。

ちなみに葬儀までの間、次々とほかの親戚が来たのだが、祖父の遺体を前にみな頑固で気の短い祖父の愚痴で盛り上がった。その時に、はとこの祖父が一時期プロボクサーをやっていたという意外な過去を告白し、親族全員大爆笑であった。このような、なんとも抜けた一族なのである。私自身も早二日目には、ちゃんと悲しんでいた自分が阿呆らしくなっていた。


*以下本題

そして、棺桶に副葬品を入れる時がやってきた。なにを入れよっかとみんなで相談したのだが、まず、旅行好きの祖父は死の間際までどこかに行く計画を立てていたことから、旅行雑誌を何冊か入れた。それだけでは寂しいと、大好物だったからとケンタッキーのフライドチキン6ピース(もっと他にあっただろうに)を入れた。以上である。70年以上生きた人間が極楽に持っていくには寂しすぎるとも思ったが、まあ、いいかと。

そして、納骨の時。葬儀屋さんがこの骨は云々といった説明をしてくれた。大きな骨は箸で拾って、そのほかの小さな骨や灰は箒で掃いて骨壺に収められた。この瞬間は生涯忘れることはないだろう。


そして時が流れ今、ここで思ったことがある。

この遺骨の中にフライドチキンの骨が紛れてはいまいかと、ふと心配がよぎったのである。あの時、神妙な顔で拾った骨がもし、どこぞの馬ならぬ鳥の骨だったとしたら。鳥と遺骨を混ぜられて、祖父があまりにも不憫ではなかろうかと。

例によってヤフる。(メインの検索エンジンがYahooなので)

http://jp.news.gree.net/news/entry/3860191?from_ggpnews=top_rank_today

以下引用

『最も棺桶に入れられて困るのも、やはりある食べ物だという。「焼き終わってお骨上げに行くと、足の骨が大量にありました。え? なんでこんなに足の骨があるの? と思ったら、足もとに大量のフライドチキンが入れられていました」 人間の骨が残るわけだから、当然フライドチキンの骨も残る。どれが人間の骨でフライドチキンの骨なのか見極めるのは難しい。「間違えて骨壷に入れてしまった場合もあると思います。『フライドチキン好きだったしいいじゃん』と気楽に言ってくれる人もいますが、仏教では畜生と一緒におさめるのは御法度ですからトラブルになる可能性もあります」』

・・・・・・

ダメじゃん。

残念ながらほぼ確実に祖父の骨壺にはケンタッキーの骨が収められている。どこぞの鳥の骨と一緒に埋葬されてしまったわけである。

まあ、私の一族はそんなことを気にするタマじゃあないとは思うが、祖父がケンタッキーの遺骨のせいで向こうの世界で不利益を被っていないことをただ祈るばかりである。











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