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父が亡くなった夜に書いた、漫才の台本

今年一月、三が日が明ける前に、実家の父が亡くなりました。

半年くらい前から、父は、肺炎と腸の疾患で入退院を繰り返していました。年末になって、肺炎が悪化し、食べ物が飲み込めなくなりました。栄養補給は、点滴のみです。医師からのはっきりした告知はありませんでしたが、父がもう長くないことは、家族の誰もが覚悟していました。

どんなに覚悟ができているつもりでも、人の死は予期せぬ時に訪れるものです。夜、いつも通りテレビを見ながら夕食を食べていると、実家の妹から、父が亡くなったと電話がありました。

ついさっき、父を看取ったばかりの妹は、散々泣いたあとのような鼻声で、いつもの三倍は早口で、父が亡くなったことを知らせてくれました。今まで父を介護してくれたこと、最期を看取ってくれたことに感謝し、明日以降の予定を聞いて、わたしは電話を切りました。

葬儀に出席するための支度は、以前からある程度できていました。荷物を確認し、数日滞在するために実家近くのホテルの予約をしたら、あとは翌朝実家に向かうだけです。いつも通りの時間にベッドにつきましたが、全く寝付けませんでした。寝付けないというより、全く眠気を感じません。

父の死がそんなにショックだったかといえば、そうでもありませんでした。前々からわかっていたことですし、もし父がこの峠を越えられたとしても、待っていたのは人工呼吸器や胃ろうといった、命を伸ばすためだけの措置でした。ただ眠れないだけ。今まで経験したことがない、完全な不眠です。たぶん朝まで眠れないだろうと思いました。そして、ふと思いついたのが、朝までかけて、漫才の台本を作ろうということでした。

ベッドに横になったまま、わたしは漫才のネタを考え始めました。寝るのを完全にあきらめると、アイデアがすぐ浮かんできました。バイトの面接で不採用続きの若者がぼやいている場面です。朝になるまでには、オチのアイデアも浮かんでいました。

翌朝からの数日間は、葬儀と後片付けであっという間に過ぎていきました。家に戻ってから、わたしは頭の中に残っていたアイデアを文字に起こしました。そして出来上がったのが「バイト面接」です。

バイトの面接官役を買って出たボケ担当が、お笑いグループの名前をひたすら言い間違えるという、我ながらふざけたストーリーです。父との思い出の一つでも織り込んでいれば、記念の意味くらいはあったでしょう。それも一切ありません。完成させたあと、一度はデータごと消すことも考えました。しかし中身がどうであれ、一生で一度の特別な夜にできた漫才の台本(自分でそう呼んでいるだけですが)です。結局残すことにして、後日noteに投稿しました。

話は前後しますが、妹から聞いた、父が亡くなった夜のことを記しておきたいと思います。

入院先の病院から、父の容態が急変したのですぐ来てほしいと連絡があり、妹と母親はすぐ車で向かいました。家から病院までは車で十分余り。その短い間にも、父の容態はさらに悪化していったそうです。意識は無いながらも、幸い一時的に持ち直し、妹と母は父の最期を看取ることができました。

母と妹が病室に入ったとき、そばにいた看護師さんが、父のことを、家族に会えるまで本当によく頑張っていた。褒めてあげてくださいね、とおっしゃったそうです。父は数年前から認知症を患っており、特に亡くなるまでの数か月は、暴言や暴力がひどく、病院でも、治療を拒否したり、看護師さんをどなりつけりしたそうです。いわば札付きの患者。それにもかかわらず、父に優しい言葉をかけてもらえたことで、妹と母は救われた気持ちになったそうです。

妹によると、ここまでが、涙と感動のクライマックスでした。

人が病院で亡くなる瞬間、バイタルを表示するモニターの波が、ツーっと一直線になる場面を、映画やドラマでよく目にします。父の場合はそうではありませんでした。亡くなったのかどうなのか、しばらくどっちつかずの状態があったそうです。変な間のあと、その場にいた若い医師が「あれ? 死んだ?」と父の変化に気づき、父の瞳にライトをあてて確認し、「あ、死んでるわ。死んでますね」と告知したそうです。

文字に起こすと不謹慎な話のようですが、この話をわたしにしてくれた妹も、妹と一緒に父を見送った母も、医師の態度を責めませんでした。なんだか拍子抜けして、張りつめていた気持ちがほどけた。気持ちを切り替えられて、悲しみに浸らず済んだ。逆によかったとしみじみしていました。まるでコントのような臨終場面は、おそらく、父の命日が来るたびにみんなで思い出す、鉄板のエピソードになるのだろうと思います。

以上が「父が亡くなった夜に書いた、漫才の台本」の話です。事実を曲げず、もっと感動的に、あるいは面白おかしく書くことはできた気はしますし、その努力をしてもよかったのでは、という気もします。でも、たぶんこれくらいが一番自分らしいし、私から見た事実に近いと思うので、いったんキーボードをたたく手を止めることにします。

少々長めの個人的な覚書に、最後まで付き合ってくださった方、ありがとうございました。

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