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城崎一家8人全滅事件


インターネットで大体の情報が手に入る世の中。
それでも、
ネット上にも殆ど情報が無いこともありますね。
先日、耳慣れない事件を知りました。
少し調べてみたので書き記しておきます。


これは1959年12月、場所は兵庫県城崎郡城崎町にあった和田家で起こった事件だと言われている。

和田家は
父親、母親、長男、二男、長女、次女、三女、四女、五女の、九人の人間で構成されていた。

和田家の長男、長女、次女は相次いで病死しており、三女は大阪へ養女に出されていた。

 そして、城崎町に暮らす和田家の四女が謎の自殺を遂げた。

事の始まりは、その四女(当時23歳)の結婚であった。
婿取りが決まり、式は滞りなく終わった。
そして、その10日後のことである、
降り積もった雪道で、急に四女が叫びだしたのである。
「うち、やっぱりいやや」
そう叫びながら、裸足で飛び出したのだ。
四女は川岸につないであった舟に飛び乗り、そこから円山川へ身を投げた。
真冬の川で、そのまま四女は溺死してしまった。

 この事が結婚直後だった事、お見合い結婚だったこともあり、
四女の意に沿わない結婚だったかも知れないと邪推されることもあるが、
和田家の父親は、娘に結婚を無理強いするような人ではなかったようだ。
そして、相手の男性にも、悪い噂が全くなかったことから、周囲の人々は突然の自殺に首をかしげるばかりだったそうだ。

 その事件から16年の歳月が過ぎた頃、
和田家の五女(当時35歳)は城崎に隣接した豊岡市でホステスをして暮らしていた。
売れっ子ということもあり、生活に問題はなかったという。

 その彼女が、5月の半ば
「あかん、うち頭が痛い。精神病院行かなあかんわ」
と同僚に向かって突然言いだしたが、
まったくなんの前触れもない台詞であった。
そしてその直後、五女はガス自殺を図り、病院に搬送され、一命を取り留めた。
そして、順調に回復に向かっていたが、「ベランダに出ていい空気を吸ったらどう?」と勧めた看護婦に向かい、こんな言葉を返している。
「いやや。ベランダになんか出たら、うちはきっと飛びおりたくなる」と。

その後「うちが死んだら、父さんも母さんもきっと死ぬやろな」
という言葉も彼女は残している。
それから間もなく、五女は看護師の目を盗み
病院の通気口の金枠にスカーフをひっかけ、そこで首を吊り自殺した。

 その年の8月、
今度は和田家の母親(当時72歳)が自宅裏の畑で焼身自殺を図った。
自分で灯油をかぶり、マッチで火をつけた。
病院に運ばれたものの、その2日後に息を引き取ったそうだ。

 これで和田家にのこされたのは父親(当時80歳)と、二男(当時26歳)のみであった。

同年8月24日には、その焼身自殺した母の法事が予定されていたが、
父親は「24日は親類だけでやる。みんなは26日に来てくれ」
と近隣に言い残し、二男と二人だけでどこかへ出かけている。
それが二人の、生前に目撃された最後の姿であった。

そして25日の夕方、二男の同僚が給料を届けに来た際に、和田家の奥の部屋で、並んで首を吊っている父親と二男の2人を発見する事になる。
四畳半の部屋には踏み台にした脚立が転がっており、遺書は無かったという。

 父親と二男の自殺の原因は、
和田家の連続自殺を理由に二男の縁談が断られたものと言われているが、本当のところは謎のままである。

近所の住民の中には、付近にある五輪の塔が粗末に扱われた為の、呪いではないかと信じている老人もいたそうである。

代々続いた和田家の血は、こうして完全に途絶えてしまった。
先に書いた養女に出された三女だけが、無事だった。
9人家族のうち子供三人が相次いで病死した後、5人が自殺、和田姓を名乗った8人全員が死に絶えてしまった。

 その後、「呪われているのではないか」と近隣から声があがり、残された家に近付く者はいなかった。
住人のいなくなった和田家はしばらく残っていたものの老朽化が激しくなり、取り壊された。
和田家に続く道の入り口には、供養のために建てた六地蔵が建ち並んでいると言う。

これが、城崎一家8人全滅事件の顛末である。



少し調べてみたところ、この事件が知られるようになったのは2009年4月発売の「都市伝説と犯罪」という本でした。

著者は朝倉喬司さんという方です。

朝倉喬司
岐阜県生まれ。「週刊現代」記者を経てノンフィクション作家となる。主として犯罪のルポルタージュ、あるいは明治期の犯罪についてなど、社会の裏面を描くことが多かった。
1988年から1994年まで現代書館の雑誌「マージナル」の編集委員を務めた。

2010年12月9日、神奈川県愛甲郡愛川町の自宅で死亡していたのが発見された。67歳没。

http://ja.wikipedia.org/wiki/朝倉喬司

事件のこともWikipediaなどで調べてみるつもりでしたが、珍しくWikipediaにその事件のページはありませんでした。
ネット検索を使っても不思議なほど情報が出てきません。

オカルト系まとめサイトが、かろうじて検索に引っかかっただけでした。
書かれたコメントを読んでも、事件そのものを知っている人はいませんでした。

本の記述の中に当時の報道の事が書かれていますが、そのオカルトサイトのコメント欄に当時の神戸新聞を確認した方がいました。
当時の8月25日から8月28日までの新聞を確認したところ、和田家の記述はなかったそうです。

著者も出版後亡くなっているようなので続報もなく。

 ただ「都市伝説と犯罪」の初出一覧の中で
、この事件の初出は不思議ナックルズ95が初出でした。
ご存じの方も多いかもしれませんが、アウトロー系やオカルト系に強い、あのナックルズですね笑

調べてみたところ、この雑誌にはこの事件の記事、並びに、供養のための地蔵、和田家のお墓の写真など掲載されているようです。

自殺なので当時大きく報道されなかった。
大分時間が経っているので、事件が風化してしまった。
はたまた、こんな事件が本当にあったのか無かったのか、
本当のところはわかりませんが。
わからないところに魅力を感じてしまいますね。

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