メンタル病んだけど吹奏楽部で世界大会で優勝。強豪校の練習量とストレスはすごい。

中学で始めた吹奏楽部。新入生歓迎会の先輩たちの演奏を聴いて、入部を決めた。

一番前の列、きらきらと輝く音がカッコよくて、可愛くて、多分一目惚れだったと思う。

皆で音楽を作るのが楽しくて仕方なかった中学の3年間。友達みんなで行く予定だった公立高校の受験に失敗。滑り止めとして受かっていた私立高校に私は1人で進学した。

この高校の吹奏楽部が全国大会常連校だと、実は体験入部に行くまで知らなかった。他の子たちは吹奏楽部で全国金賞ゲットを目的で進学してくる中、私だけが「みんなで楽しく吹けたら良いなー」なんて軽いノリ。

田舎の弱小吹奏楽部出身の私は、部活目的に進学するなんてそもそも考えたこともなかった。コンクールなんて思い出作りでしょ?

吹奏楽部の部室は2階建てのホール。各パート用の小部屋がいくつもある、吹奏楽部専用の建物。さすが私立、音楽室や近くの理科室でパート練習はしないらしい。

フルートは3学年全員合わせて10人の大所帯。この辺りで中学との違いに気付き始め、同級生にこっそり聞いてみた。「もしかして、ここの吹奏楽部って強い?」

実は吹奏楽部目的で入っていた同級生が9割越えていたので、私の発言にみんなびっくり。「知らないの!?」って。知らないよ。

この吹奏楽部から音大目指す子も多いようで、練習はホントに本格的。朝から夜まで、テスト週間も、夏休みもなくずっと練習。

「1日吹かないと、その遅れを取り戻すのに1週間かかるから、とりあえず毎日音を出せ」そう言われて毎日練習していた。

強豪だからか、乗る本番の数も多かった。大会に加えて、定期演奏会は毎年2回公演。ミュージカルも何度もやったし、遠征、夏と冬の合宿、他校との合同演奏会も多数。全国に乗った後は、ご褒美でディズニーランドにも行かせてもらった。

何よりのご褒美は、演奏直後のお客さんの拍手と吹ききった高揚感。これがあるからやめられなかったんだと思う。

教室で過ごす時間より、部室で過ごした時間の方が多いんじゃないだろうか。

朝日のコンクールに乗れるのは50人。半分以上は大会に乗れないから、競争は超激しい。思春期の女の子が沢山集まると、悪いことも多いし、気が合わないことも多々。

練習して上達するより、ライバルをいじめ抜いて退部に追い込む人も多かった。退部に追い込まれたのは私の親友。何とか一緒に卒業まで頑張ろうと励ましたけどダメだった。

練習中に過呼吸で倒れる子も多かったし、いつの間にか私の身体中は切り傷だらけで、安定剤が手放せなかった。

顧問の先生は音大目指すような優秀な部員のレッスンに忙しいので、さして上手くない私のことなんて気にするわけがなかった。「楽器が上手い=人の価値」だったから。一応クラス担任でもあったんだけどな。

それでも辞めなかったのは、辞めたら負けだと思ってたから。辞めるくらいなら薬の量を増やした方がマシだと思ってたから。負けず嫌いなのかも。

選抜メンバー選びはオーディション製。審査員は部員全員。部員全員が後ろを向き、誰か分からない状態で奏者が曲の1部を演奏。良いと思ったら挙手。挙手数が多い順にメンバーが選ばれる。

奏者は全員が見渡せるから、自分の演奏を誰が認めて誰が認めなかったか、はっきり見える。仲の良い友達が手を挙げてないと、相当凹む。「あ、人として認められてないんだ。友達なのに」って。

吹奏楽部の狭い世界で「楽器が上手い=人の価値」を前提としたオーディションは心を激しく摩耗する。自己肯定感は育たない。演奏技術も必要だし、楽器の材質で音も変わる。私はプラチナの重厚さと、金の華やかさが好きだった。

かと言って、それを親にねだれる訳がなかった。100万もする楽器を高校生の部活動の為に買い与える親がどれだけいるだろう。練習すれば初心者用の7万の楽器だって良い音が出る、そう思うしかなかった。

ただし、「あいつが選ばれたのは先生のお気に入りだから」っていう妬みはない。結果は、平等に数字で出るから。そもそも誰が吹いてるか分からないし、判断基準は純粋に音だけ。だから余計に、逃げ場がなかった。

海外遠征の話が来たのは2年の終わり、定期演奏会の後。次の夏に、音楽の都ウィーンでの音楽大会へのノミネートとドイツへの演奏旅行に推薦してもらったんだと顧問の先生からの報告。

その日から、海外遠征に向けて猛練習。3年に進級する頃には50人近く入部した私の同級生の半分は既に退部していた。

ウィーンでの音楽大会は夏休み前。3部門に分かれていて、合唱、オーケストラ、吹奏楽の各部門の予選通過校が本選に乗れる。

予選は無事通過。本選の本番、最後の3小節くらいで既に拍手が始まって、音楽が終わった瞬間に盛大なスタンディングオベーションをもらった。たぶん皆泣いていたと思う。曲はショスタコーヴィチの祝典序曲。

結果、南アフリカの男子合唱団と同位優勝。その日の夜、泊まってたホテルがお祝いの特大ケーキを出してくれた。

その後、オーストリアとドイツで何度か演奏会に出演。トータルで11日くらいの演奏旅行だったと思う。ウィーン観光もしたし、初めて食べた本場のザッハトルテはとっても濃厚で美味しかった。ちなみにザワークラウトは好きじゃなかった。

マーチングの練習は炎天下の中、グラウンドでしたし、走り込みもした。筋トレも毎日。移動の度に楽器運ぶのも大変だし、吹奏楽部は運動部だと今でも思う。

練習も厳しかったし、外部からの先生達には何度も怒鳴り散らされたけど、本番はそれが全部帳消しになるくらい楽しかった。

結局3年最後の定期演奏会まで乗った。初めて、マイクの前でソロを吹いたのもこの時。辞めなくて良かったとも思うけど、辞めていたら私のメンタルはきっと安定していたと思う。

卒業して、短大に入ったら嘘みたいにメンタルが安定して、薬も飲まなくなった。

例えば私がいつか親になって、娘が同じ状況にいたら、なんて言うだろうか。

もちろん「楽器が上手く吹けること=人の価値」ではないと知って欲しい。逃げても良いし、それは負けじゃないし、もしかしたら他に何か熱中できることが見つかるかもしれない。世界は部活だけじゃない。

自分には価値がある、多分、当時の私はそう思いたかったんだと思う。確かに、他ではできない経験だったから頑張って良かったと思うけど、一度病んだ心は絶対に元通りには戻らない。

それを成長と言えばそうかもしれない。でも、音楽は人の心を豊かにするものであって、摩耗するものであって欲しくない。多くの中高生が、音楽を通して達成感と自己肯定感を育てられたら良いと思う。

細部まで緻密に計算しつくされたコンクールに勝つための演奏が、本来の音楽の良さじゃないと、大人になって市民団体で楽器を吹くようになって初めて実感。

散々辛い思いもしたけど、やっぱり音楽は辞められないみたい。











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