黒猫の散歩道3
寝室に戻ると、綾は先ほどよりは表情を緩めていた。ほっとしたように見えるのは気のせいか、涼には判断できなかった。
「とりあえずお前風呂……あー、熱あるんだったな、無理なら身体拭くでもいいし、着替えは貸してやるから」
涼の提案に、綾は小さく首を横に振った。
「え、何、お前結構汚れてるからな。俺が良くない」
言うけれど、綾は動かなかった。
牽制しているというよりは、不安そうに眉をわずかに下げていた。怯えている、と考えが至った涼の目線の先には、傷だらけの小さな身体がある。 誰に、何をされたのかは知らないけれど、確かにそれは悪意のあるものだとはわかった。
「……何もしねぇから。する気があったら、もう手ぇ出してるだろ。お前が寝てるときとか」
「…………」
「嫌なら、しばらく家出とくから」
「……やっぱり、あんた本当に変わってる」
綾は最終的にシャワーを浴びたいと希望し、浴室まで涼が抱えて連れていった。家を出ないで良いと言われたものの、なんとなく気を使ってしまい、涼はベランダで煙草を吸ってそれを待った。
「都築」
部屋の中から呼ぶ声が聞こえて、煙草を消して浴室に向かった。サイズが大きい涼のシャツを着て、頭にバスタオルを被った綾が、脱衣所で座って待っていた。右足は濡れないようにビニールに包まれていて、それが不格好で面白い。
「ん」
よいしょ、と綾を抱えると、腕の中で身体を強張らせたのがわかった。
「……あ、ごめん、さっき煙草吸った」
今は持ってないだろ、と弁明すると、綾は納得したように身体の力をゆっくり抜いた。
綾の身体が温かいのは、シャワーを浴びたからなのか熱があるからなのか涼にはわからなかったけれど、気が抜けたのか、綾をベッドに下ろすと目がうとうとしていた。ぼうっとしている様子に、熱があがったかもしれないなと予想する。
「寝るな、髪拭け。つーか飯食って薬飲め」
小言を言いながらドライヤーを持ってくると、綾はいらない、と首を横に振った。いらないじゃなくて俺のベッドが濡れるだろうが、と心中で呟いて涼がベッドに乗り上げると、綾はぴくっと反応した。
「自分でやらないなら俺がやるからな」
背後に回ると怖いのか、おずおずと背を壁につけた。
「……前からやるから」
ドライヤーをつけてタオルで拭いてやると、綾は大人しく頭を預けてきた。次第にゆらゆらしてきて、もう寝そうだなと思いつつ、柔らかい髪を扱った。
「ほら、終わった」
ドライヤーを消すと綾は半分寝ていたようではっと身体を起こし、そのまま、こてんとベッドに横になった。自分を守るように小さく丸まる様子に、熱のせいもあるだろうが、色々過敏になりすぎて疲れてるんじゃないかと涼は思う。
「……いや、寝るなよ、薬……」
何か食べさせて薬を飲ませないと、と思うけれど、無防備な寝顔に起こしてしまうのも気が引けた。
ほとんど無意識に、手を伸ばしていた。頭を撫でて、俺は何をしてるんだと涼ははっとする。
警戒心でいっぱいだったはずなのに、大丈夫だとわかるとするりと懐に入ってくる。野良猫に餌付けしてるみたいだな、と思っていると、くしゅん、と綾がくしゃみをした。その位置に寝られると布団がかけられないなと逡巡する。
起こすかも、と思いつつ綾を抱えて布団に入れてやると、綾はやはり身体を丸めて、布団の中に顔をうずめた。
「猫かよ」
ふは、と笑みが零れた。
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