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世界には何もない。

ってことで、
最近文章が全くかけなくなってきました。笑

世界には何もないっていうことは
自分のなかに何もないってことです。

たとえば、わたしは20代のころ、
フランス、イギリス、チェコ、ベルギー、タイ、韓国、オーストラリアなど
いろんな国に行ってみて思ったの。
そこには何もなかったと。

雑貨とか古着が好きでその仕入れにもいってたから、
ヨーロッパの上のほうが多いんだけど。

昔から、海の向こうに思いをはせてて
父も祖父も船乗りで、本当に大きな船に乗って世界中海を渡っていた
人たちだったから、話をきいてはドキドキしていたのね。

で、海外は意外と近いの。
数日間のお休みと、数十万、(わたしなんて10万あれば5泊はできる)あれば、家の扉をあけるだけでいける。
(あ、パスポートいるわw)

でも、そこには何もないの。
日本とさして変わらない。
公共交通機関があって、
人が住む家があって、
ちょこちょこ観光地があって。
田舎なんて行ってみたら
ほぼかわらん。
(多少建物のつくりが違うけど)
実はどこにいったかなんて
なんの価値もない。と思ったの。

で、それは、私の器がめちゃくちゃ
浅くて小さいから。なんよね。

たとえば建物の勉強をしている人からしたら
世界の建築物はめちゃくちゃな刺激になるだろう。
神社仏閣みたいな歴史などに詳しい人がいたら
その地の歴史に想いを馳せて壮大な旅になるだろう。
ファッションに研ぎ澄まされたセンスを磨く人なら
そのすべてが発見の嵐になり、
音楽をつくり放つ者にとってもまた、
見過ごしてしまうような小さなライブハウスは
とてもとても伝説のようで感動するのだ。

この、器がなければ
土地など、海を越えても
何もえられない。

その器は、
外の世界ではなく、
内側の世界で作られるのだ。
日本で。
いま、
この場で。

目に見えるもの(建物、言葉、アート作品)から
いかに目に見えないものにまで思いを馳せられるか。
そこをどれだけ感じられるか。
自分が感じたことをちゃんと味わえるかなのだ。

自分のその感覚を養うための方法は
ひとつは、まぁいいやをやめてみること。
いま、あなたは何をしてる?
珈琲を飲んでるとしよう。
珈琲なんて適当に自販機に並んでる安いやつでいいや。
それが感覚を麻痺させていく。
せめてどれかちゃんと選ぶ。
珈琲の味をちゃんと確かめて味わって選んでいくうちに、
今度はお店の珈琲を飲んでみるとまた違う。
お店の珈琲なんでもいいやをやめて
スタバはどう?コメダは?ドトールは?
そしたら今度はドリップの仕方がきになったり
エスプレッソ、モカ、いろいろ試してみたくなる。
そのころにはあなたの器は
ひろがって深くなっている。
今度は豆の種類がどうか気になる。

すると、この店ではこんなに丁寧にひくんだ、
こんな焙煎をするんだ、
って感動をうけとれる自分になっている。

だから、別になんでもよくって
興味もない珈琲にする必要はなくて。
虫でもデザインでも、食でも、
どれでもいいし、別にひとつに決定する必要もない。

毎日何かについて、
ま、いっかをやめてみて、
よく味わうことなんだ。

わたしなんかはこんなことしても意味がないとか
稼げないとか、すぐそういう表面的なメリットを
探しがちだけど笑

それが盲点で。
センスは自分に組み込まれるから、
珈琲以外のセンスもあがってしまうんだよ。
表面が何かはおまけで、
中身のセンスが磨かれてしまう。

それは必ずあなたの大切な2ハウスになり、
水星と金星を養い、それが全宇宙(あなたのホロスコープ全域)に
めぐりだす。

ともに、素敵な器にしていこう。

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