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色々想いながら下地作り

久々にアナログ(アクリル)で描こうと思い、キャンバスに下地を作っている。ただひたすらジェッソを重ね塗りしていく作業。6〜7回は塗ったと思うが、まだ私が求める下地にはなっていない。

テーブルの上で直接ジェッソを塗るとテーブルが汚れそうなので、無印良品で麻クロスを買い、それを敷いてジェッソを塗ったら、早速麻クロスにジェッソを付けてしまった。ああ…。
と言うか、テーブルを汚さないために麻クロスを買ったのだから、それで良いはずなんだけど。

情緒は無くなるのか

下地作りをしながら考えていたことがある。
以前AI画像生成サービスの記事を少し書いた。最近はそんなAIが増えて来ているようで、文章も絵も全てAIが制作した漫画があるらしい。

私は10〜20年後には人間が絵を描くという行為は衰退するのではないかと思っている。
既に現在、リアルな絵を描いたら「それはAIが描いたのではないか」と疑われた事例もあるようだ。しかし近い将来はAIに描いてもらうのが当たり前で、自力で人間が描くのは無駄な行為と考えられるようになるのかなと。

私が絵を描く理由の1つに、自分の感情を絵で表したいというのがある。そしてギャラリーで絵を観る時、その絵から言葉にならない『何か』を感じる人も多いと思う。
しかしAIが絵を描くようになったら、そのような情緒は無くなってしまうんだろうと思った。

人間味が無くなる社会

将来、生きていく意味を見い出していくのも難しくなりそうだ。
何でもかんでもロボットやAIがやってくれる社会で、「自分は何をしたらいいんだろう?」と考えてしまいそうだ。私は現在会社で事務の仕事をしているが、そのような仕事は無くなるだろう。色んな仕事が無くなり、人間が生きていく上で一見楽になると考えがちだが、今以上に生きにくくなりそうだ。

時々昭和の頃の動画を見るのだが、その当時も暮らしていくのは大変だったと思うが、今のよりも楽しそうに生きているように見えた。

現在、仕事をするのは生きていくためにやむを得ず仕事をしている人が多いように感じている(もちろんそうでない人もいると思うけれども)。
昔は一億総中流と言われていて、周りの人は割と似たような暮らしをしていたと思う(我が家は貧乏だったが)。今思えば、その頃は良かった。

今は細かいことまで様々な制約があり、とても窮屈な中で縮こまって生きている感じがする。現在の時点でも人間味が失われつつあるのかもしれない。その上AIが進化したら…先ほども書いたが、「私は何をしたらいいんだろう?」となりそうだ。

このままではAIを制御出来なくなるかもしれないので、人間がAIを制御するようにしていかなくてはいけないという記事もあった。


…と、下地作りをしながら延々とそんなことを考えていたのだった。

既に現在でも、SNSに載っている絵を1秒位で見て、『いいね』をポンポン押している。20年位前、色んな人のサイトで絵を見ていた頃はもっとじっくり見て感想を伝えていた。それが人との繋がりを築くきっかけになっていたが…。

そんな私自身もInstagramではコメントオフにしているので、自分自身の反省にしなくてはならない。


近況

前回記事を書いたのが1月下旬。それから半月経ってしまった。あれよあれよと言う間に月日は去って行く。

新しいメガネを作り、本日受け取った。今までは近くを見るための眼鏡だったが(老眼)、今回は中近両用の眼鏡にした。明日から仕事で使うので、今この記事を書くのに慣らしで掛けているが、まだ距離感が掴めないというか、少し視線がズレると四角がひし形に見えたり。うん、まだ慣れていない。

慣れれば多少離れても近くてもよく見えるようになると思うので、姿勢が良くなりそうな気がする。
初めて作った眼鏡は目立たないピンクベージュ色のフレームだったが、今回は深緑にもう少し青が混ざった色のチタンフレームにした。すぐに「眼鏡変えた?」と気付かれそうな色だ。

前回の記事で『薬を元に戻すことにした』と書いたが、新しい薬を飲んでいた期間(4〜5ヶ月)を無駄に過ごしたような気がして悔しい。やりたいことが沢山あったのに(特に絵を描くこと)、出来なかった。
しかしその期間に初めて知ったこと・学んだこともあったので、良かったと思うことにする。

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