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多様性と調和について考える

先ほど東京パラリンピックが終わりました。閉会式で度々出て来た言葉が『多様性と調和』でした。
近年、お互いの多様性を認めることについては変化して来て、何年か前よりは伝えやすい世の中になったと思います。そのきっかけを作るテレビ番組や動画もあり、自分の生き方とは違う暮らし方・考え方もあることを知ることが出来るようになりました。見ているととても勉強になり、テレビ番組でも言っていましたが、「『普通』は皆人それぞれ違う」のだと今では思います。

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以前は『普通』について、一般的な人々の平均的な暮らし方や考え方のことを表していると思っていました。その『普通』に近付きつつあったのが、少し遠のいてしまい今に至る話をしようと思います。

私は12歳の時、突然発作を起こして倒れました。その後病院での検査を経て、てんかん発作が起きたことが分かりました。
それから長期間服薬することになりましたが、母から「この病気のことは誰にも言ってはいけない」と言われました。この時に私は普通ではないのだなと思いました。

それから20年近く、私は自分の病気のことを誰にも言わずに過ごして来ました。発作が起こらない限りいわゆる一般人と同じ生活を送れるので、言う必要は無いと思っていましたが、ちょっとした時に矛盾を感じていました。
当時は勤めていた会社にも言っていませんでした。半年に1回位病院で検査を受けなければならず、有給届を出すのですが、私自身は風邪もほとんど引かず一見とても元気で、「なのに病院へ行くために有給届を出す」ことに会社の人から変に思われていないかと心配になっていました。しかし、会社の人達は何も聞いて来ませんでした。

東京で暮らすようになってから、夫や一部の友人にてんかん患者であることを伝えたところ、差別を受けるような言動は無く、優しく受け入れてもらえました。それでもこうしてネットで公開することはしませんでした。怖かったのです。

2007年、病状が寛解となり、服薬をやめることが出来るようになりました。それから数年経ち通院も終了して、私は一般的な『普通』に自分が近付けたと思い、病気に囚われることから離れようと思いました(発作が起きないよう注意しつつ)。それで周りの人達にも私の病気のことは伝えなくても良いだろうと考えました。

しかし昨年2020年2月、仕事中に突然発作が起こり再発してしまいました。会社の人には伝えていなかったので、かなり驚いただろうと思います(発作が起きている間の意識が無いので様子が分かりません)。
現在はまた服薬しています。

私が一般的な『普通』から少し外れてしまっていること、それを言い出せなかったことが事を大きくしてしまいました。会社の人に伝えていれば、救急車に乗らずに済んだと思います。
言い出せなかった大きな理由は差別の問題でした。言ったことにより自分自身が生きにくくなるのではないかという心配があったからです。

その心配は現在も続いていて、今こうして文章を綴っていますが、書こうと思ったのは昨年発作を起こした後すぐのことでした。それからずっと長らく迷っていて(迷っていたのは、昨年からの記事でも書いていました)、公開するきっかけを得ようとしましたが、きっかけが得られず…という状況でした。

そして昨日記事を書こうとしましたが、筆が進まず、本日となりました。と言うように他の人には些細なことでも、私自身には言うことが勇気のいることでした。

ネット上では黙っていても良かったのですが、こうして書こうと思ったのは、書かなければ私が先に進めないと思ったからです。

世の中の人が考える普通が一般的な『普通』から、人それぞれの『普通』に変わっていったらと思います。私自身の経験から、『人それぞれの普通』が受け入れられ、思いやりの気持ちを持てれば多くの人が生きやすくなると感じています。

※本日の絵
タイトルの絵はSDGsをイメージして描いた抽象画です。
女性が描かれた青色の絵は、受け入れる想いが皆同じになれば良いと思い表現しました。

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