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日本人はなぜ英語を話せないのか? 〜3つの視点から考察〜

突然ですが私は日本の教育にとても感謝しています。

ゆとり教育より少し前のつめこみ教育だったけど、「なんでこんなことやらないといけないんだろう」って不満たらたらでやってたけど、今になって分かる。その意味も意義も分からないまま一心不乱に覚えまくる。あれはあれで学びのスタイルとして重要だ。

例えば中高6年間、もっと言うと高校入試と大学入試のためだけに必死に詰め込んだ5教科。
公式や化学式みたいな日常生活と無縁な項目はキレイサッパリなくなったけど、きっちり残ったものもある。
それが英単語や英文法。現在の英語力の土台は、詰め込んだ受験英語で固められている。

受験英語をはじめ、中学で3年間、人によっては高校でもう3年。
密度の差はあっても6年間の語学学習。なのに、なぜ日本人はこんなにも英語が話せないのだろうか。

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教員免許を取得して教育に関するあれこれを一通り学び、海外でなんとか仕事にありついている私から見ると、日本の英語教育ってめちゃくちゃすごい。

特に中学英語の3年分は語学の基礎基本が詰まっている。
何から始めたらいいかわからない人は、中学英語3年分だけやれば間違いない。
単語、文法、表現など、コレだけマスターすれば旅行先で楽しく会話できる。そこにちょっとしたビジネス単語を追加すれば仕事も英語でできちゃう。

中学と高校で習っただけ、それから先は独学で英語を体得して、無謀に海外へ飛び出した私が証明します。

ーでも、そもそもさ。

バイトが終わってから帰り道のドトールで、海外転職への夢と期待をパンパンにふくらませるためにNHK語学テキスト「ビジネス英語」をせっせと勉強しながらふと考えた。

ー義務教育で日本人全員が学んだ中学英語。
ーあれだけやれば十分なのに、どうして多くの日本人は未だに英語が話せないんだろう。

基礎基本は、詰め込んで叩き込まれてバッチリなはず。なのに、どうしてこうも実践英会話に弱いんだろうか日本人。
ドドールで勉強しながらポンと浮かんでしまった疑問。以来ひとりで考えても、これといった答えが出ない。

やっとつかんだあこがれの海外転職 in シンガポール。
仕事しながら、ぶらぶら散歩しながら、人と会って話をしながら、ずーっと考えた。
そしてたどりついたポイントが3つ。

なぜ日本人は英語が話せないのか
どうしたら日本人は身につけた切り札をフル活用して英語が話せるようになるのか

考えたらいろいろ見えてきた。

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1 自分にも他人にも厳しすぎる

シンガポールで働き始めて、「日本vs日本以外」という比較対象を獲得して感じたのがこれ。
多民族多文化国家のシンガポールでは、だいたいの人が英語と何語かを話すバイリンガル。

なんだけど、英語も何語かも、なんていうかすんごい適当。

This one can ma ?
Cancan ! caaan !
Ok lah ~

みたいな適当さしかない日常会話。その適当さをもってして「オレたちバイリンガル!」ってドヤさと外国人の私にアピールしてくる。

なんだろう。
へえ、バイリンガルなんだ、すごいねバイリンガル、いやそうなんだけど。
 
日本で! 
日本人が!!
想像しているバイリンガルとぜんっぜんっちがうの!!!

当時の私の職場は中華系シンガポール人が9割、つまりほぼ全員。
彼らのけたたましいおしゃべり(主に悪口)は中国語で、私やお客さんと話すときだけcancanから始まる英語に切り替わる。
小型犬か雑誌のタイトルにしか聞こえないこの特徴的なシンガポール英語。慣れてくると愛着が湧いて、その時期をこえるとうっとうしくてしかたがない。この愛憎まじわる複雑な感情よ。

You are Japanese and can speak English mah ? You are also bilingual lah ! Cancan!

シンガポールをはじめ、アジア諸国で言われて最初は嬉しいこの言葉。そしてだんだんうっとうしくなるこの言葉。

日本人で英語が話せるなら、あなたもバイリンガルだね。オレたちといっしょ! だって。

南国の陽気な人々の優しさにほだされて、一瞬だけ夢を見たくなる。そうか、私はバイリンガルなんだと。
たいていの人は、5秒たったらぱちんと正気に戻るけど。
そのくらい、日本以外でのバイリンガル認定はゆるくて寛容だ。

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これが日本だったら、中学英語をマスターした程度で「英語できます」なんてドヤさとポーズをつけようものなら鼻で笑われ、発音がなってないだのネイティブはそんな言い方しないだのと英語ポリスがすかさず飛んできて警鐘をうち鳴らす。

またそういうポリスに限って経験の伴わない知識だけはご立派なことで、THで舌を噛むだのLとRの区別だの、大半の日本人が不得意なところだけ得意だったりするからたちが悪い。他人に厳しい分、自分にもとことん厳しくなる悲しきポリスたち。

cancan言うだけで「バイリンガルじゃん!」って褒めてくれる南国もあるのに。

日本人はその真面目さゆえに中学英語の詰め込み教育で基礎基本をしっかり体得して、その真面目さゆえに正しい発音や表現とは違うかもしれない自分の英語に自信がもてない。
思い当たる節がありすぎる、悲しい日本人。

日本を離れて、俯瞰して、振り返って気づいたこと。
他人にも自分にも厳しすぎる日本人は、曖昧さや差異に敏感で、他人を褒めることより叩くことのほうがずっと多い。
未熟だったり成長途中の誰かの能力を、褒めることなく鼻で笑ったり否定したりとやたら厳しい。

中学から英語を学んで約20年経って、海外で5年以上働いてもバイリンガルになれたな、という実感はない。だけど自分のしょうもないミスや、他人の曖昧さにはだいぶ寛容になれた。というかだんだんどうでもよくなってきた。

あなたも私もバイリンガルだよ。自分でそう認めたならそれでいいんだよ。

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2 日本語コンテンツの豊富さとお金で買える日本人向けサービスの充実

次なる考察のきっかけを与えてくれたのは、学生時代のバイト仲間の田中(仮名)。

名門大学を卒業予定、内定先も立派な企業のまさにお坊ちゃんタイプの田中は、塾とか家庭教師のバイトは余計な頭を使うから嫌だと、潔く時間を切り売りするコンビニバイトを選んで私と一緒に働いていた。その発想と発言にも感心した。

卒業旅行で彼女とバリ島に行くんだとはりきっていた田中。
学生時代から貧乏バックパッカー旅行をしていた私とは対照的に、田中の海外経験は聞いたことがなかった。

彼女とふたりで海外旅行なんて、現地でのトラブルとか交渉とかスマートにできなかったら、田中、かっこつけられないんじゃあ。高身長高学歴で、おそらく高収入になるであろう田中はふだんからかっこつけてたし、実際かっこいい条件がそろっていたので嫌味がなかった。
田中って英語話せるんだっけ? ふと気になったので質問してみた。

全然ムリっす。
でも日本語できるスタッフがいるホテルと日本語ガイド頼みましたから問題ないっす。


おお!
おおお!!

そうか、その手があるのか!!!

貧乏バックパッカーでモメまくり交渉しまくり、とにかく使える手段を使って最安値だけを追い求めていた当時の私には衝撃だった。
日本人向けの現地ツアーなんてぼったくりだ、海外で日本語を話すなんて敗北だ、と勝手に思い込んいた。その結果、よくわかりもしない英語で安いけど質の悪いツアーを探し出しては満足していたのに。

日本語のみで快適に過ごせる海外旅行って、お金で買えるんだ。

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田中のあの一言を思い出すたびに、日本語と日本式サービスの豊かさを実感する。
例えば娯楽。日本で観られる海外の映画やドラマは、美しくて完璧で工夫された日本語字幕と共に楽しめる。これって地味にすごいこと。

海外で暮らすようになって、東南アジア諸国のマイナー言語と比較ができてやっとそのすごさを理解した。
タイ人、ベトナム人、カンボジア人、インドネシア人が、最新の英語圏の映画を見るために母語の字幕がつくのを待っていたら何年かかるか分からない。すぐに最新映画を見たい彼らは、英語字幕か字幕なしで見て楽しむ。
ちょっとくらい分からなくても気にしない。そうやっているうちに、自然な英語が身に付くのかもしれない。

海外ドラマや映画を見るために、英語のままでむりやり鑑賞しようなんて考えたこともなかった。
いつでも美しくて完璧で工夫された日本語字幕があったからだ。

それから海外旅行にしたって、割高だけど日本語サービスはだいたい充実している。これがタイ語やベトナム語やクメール語やインドネシア語でのサービスだったら、どれくらいあるんだろうか。

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さらに深堀りすると、娯楽といえば日本発コンテンツの偉大さを再発見した。シンガポールで暮らし始めてから。
日本の映画やドラマはもちろん、私はラジオと本が大好き。

ラジオは毎日やってるし、おもしろい新刊書籍もどんどん発売される。
便利なアプリや電子書籍のおかげで、世界中どこにいても日本のコンテンツを思う存分に楽しめる。
日本のコンテンツはとにかく豊富で面白くて、消費すればするほどその魅力にとりつかれる。
だから私はシンガポール発のドラマや映画を見たことがない。日本のものを毎日追いかけるだけで十分楽しかったし、その量と質で私の時間は満たされまくっていたから。

もしも私がどこかほかの国で生まれて育って、自国に良質なコンテンツがなかったら、英語やなにかほかの言語でよその文化や娯楽を求めたかもしれない。

自国のサービスが充実していること、そして自国のコンテンツが豊富で魅力的なこと。
その両方は幸福であると同時に、他言語を必要としなくなる不幸かもしれない。

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3 政府陰謀説

最後の考察は、シンガポールでお世話になった転職エージェント高橋さん(仮名)の一言から。

シンガポールで仕事を探すたくさんの求職者を手厚くサポートする高橋さん。
片道航空券でいきなり現地に飛び込んだ私を褒めてくださいました、その節はありがとうございました!

高橋さんいわく、求職者のほとんどは日本にいながらスカイプ面接などで内定まで済ませたがる。それか私のように一度シンガポールまでやってきても、内定をもらってから身辺整理のために一度日本に帰るため、就業開始まで期間が必要らしい。

いつでも働けます、即日勤務希望です、日本? しばらく帰りませんね、という弾丸タイプは当時は珍しかったようだ。
そこも褒めてもらってテレテレ浮かれていたけど、そりゃみんな保険かけたいよね、背水の陣で飛び込むなんて無茶しないよね。5秒後にぱちんとまた正気に戻る。

そのあとに続いた高橋さんの一言で、私のどこかでなにかがグワッと開眼した。

日本人があんなに勉強してもこんなに英語ができないのって、僕は政府の陰謀としか思えないんですよね。
だって建前では英語教育の充実だのグローバル人材推進だの言ってるのに、おかしいじゃないですか。
税制とか法律とかいう以前に、言語の壁で鎖国してるんですよ。
言葉がわからなきゃ外資のビジネス参入なんてできませんから。


おお!
うおおお!!
 
まさにこれかもしれない!!!

どこかでなにかが開眼して、そこから激しく同意した。
そうか、そうだったのか。政府陰謀説。

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どおりであれだけ勉強してどんなに練習を繰り返しても、私達の日常生活において実用英会話なんて1ミリも必要ないわけだ。
日本で日本人で日本語で会話しているだけだから。
日本語が通じない人に遭遇する可能性も、日本語以外の言葉で説明してないといけない場面もほぼゼロなわけだ。政府の陰謀なんだから。

ああいうのも全部、大きな力に操られているのかも、と思ったら一気に納得した。
日本で日本人同士で日本語で生活や仕事を続けている限り、英語なんか求められることはないんだな。

ずっと鳥カゴの中で穏やかに暮らしていたら知ることはなかっただろう、鳥カゴを飛び出して初めて獲得した視点だった。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。日本人はなぜ英語を話せないのか? 〜3つの考察〜

真面目さゆえの呪いだったり
日本文化サイコーだったり
ミエナイチカラ(~INVISIBLE ONE~ by B’z) だったり。

私たち日本人が歩む英語マスターへの道にはハニートラップも障害物もなんでもありなんだなと、一通り考察して感じた。
他人も誘惑も陰謀もなにもかもふりきって、「よくやったね」って自分で自分を褒められたらそれでいい。

とっくに子どもじゃないんだから
周囲に評価を求めて一喜一憂するのをやめて、自分だけのゆるぎない評価で生きていこう。

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