見出し画像

裏垢女子「ただ、可憐な人間になりたいだけの人生だった。」

私が彼女と出会ったことで、今まで少しも思わなかった感情がそれだ。


ー人生最大の衝撃ー

彼女は新卒入社した職場の同期だった。
一般的に言われる美人なわけでもとりわけ痩せているわけではないのだが、
とにかく愛らしく、仕事にも一生懸命で、周りに優しさというより愛を与える女性だった。

そして彼女も全ての人から愛されていた。
間違いなく神にも愛されていると何度も思った。

そんな彼女も怒ることもあったが誰も傷つけない怒り方をする。
そして数分後には「もう!ちょっとムカってしちゃったから今日は餃子を食べたいよ、しずちゃん」と、食いしん坊万歳。
自分の機嫌のとり方を知っている、よくできた人間だった。

休みの日は隣県の神社まで出向き、少し危険が伴う仕事をしている家族のためにお守りを買いにいく。
いつの時代の女学生なんだと何度も思った。
かと思えばK-POP好きで仕事を辞めて留学してくるなど、ほんとうに掴めない女だった。

その頃の私はすれ違う人全てを傷つけないと気がすまねえのか?お前は。というくらい毒を吐きながら生きていて、
それが本当に面白いと思っていた痛い人間だった。
だから彼女の存在は衝撃的だった。
「なんだこの人間は」本当にそう思っていたし、これが本当に愛される人間なのだ、と人生で初めて思った。


ーそう言うにはおこがましいけれどー

私は子供のころから自己肯定感が低かった。
いい子でいなくては、
全てにおいて一番にならなくては、
父と母に愛されなくては、
弟を守らなければ、
クラスで愛される子でいなくては、
先生に頼られる子でいなくてはいけない。

家族も一般的なレベルで私に愛を注いでいたはずなのに、なぜかいつも愛に飢えていたように思う。
弟だけやたらと優遇されているように感じては、寝るときに部屋で一人、「私は愛されていないからもっと愛される子にならなくてはいけない捨てられてしまう」と、全く根拠のない理由でべそをかきながら自分で自分に呪いをかけ続けていた。

その頃の私は愛に飢えてはいるが、自分が愛せば愛してもらえると本気で思っていた。
人生で一番人間力が高かった。誰がみても「可憐」な少女だった。
実際そう言われることもあった。

ただ呪いはかかったままだった。
おかげで今では立派なヤリマンである。男性が抱いてくれているときだけは私を見ていてくれていると勝手に思っていた。

当時は彼氏がいたので今ほど遊んでいなかったが、ネットで適当な相手を見つけてはあなただけだよと自分のいかがわしい画像を相手の指示どおりに撮って送っていた。
それで相手が満足している状況が滑稽だと思ったし単純に嬉しかった。そして、これは性癖だと理解した。


ー星野しずく、爆誕ー

なぜかわからないが彼女はそんな私をとても気に入ってくれ、(ていたように思う)
平日休日関係なく、2年ほど毎日朝から晩まで一緒にいた。
今までいろんな男では満たせなかったはずの心が満たされたし、彼女に愛されていた自覚があった。

そのおかげで2年後にはだいぶ言葉遣いも丸くなり、表情も明るくなったせいか学生時代の友人に会う度に驚かれた。
「愛」とまでは言えないが、「愛のような何か」を与えることを身に着けられたようだった。

彼女の留学を機にその生活も終わった。
私はいくつかのバイトを変えて、今の職場に落ち着いた。
その間にも定期的に連絡はとりあっていたが、会うことはほとんどなくなっていた。

いつからだったか忘れてしまったが、気づいたら「星野しずく」という別の人格で生きる時間を設けるようになった。
裏垢女子とよばれるSNSでいかがわしい己を晒すアカウントである。

比較的性欲が強い自覚があったので、単純な興味と自分の性癖を晒してみるかという興味以外に特に目的はなかった。
転職してから所謂”激務”な仕事に就いたことで自分の時間が設けられず、
別の人格としてSNSで心情を吐露することで精神状態を保たなくては死んでしまう気がしていたのかもしれない。

際どい画像を撮影してはクレジットを入れ、それっぽいハッシュタグを付けて投稿する。
腹部のたるみ気になったが、そんなの加工アプリでちょいちょいすれば問題ない。
胸は元から大きい方だったので少しの加工で、男の好きそうな女体の画像ができた。

数投稿しかしていなかったが、フォロワーはどんどん増えた。
1,000名超えは一瞬だった。

はじめの頃はコメント全てにリプライをしていた。
優しく、感謝の気持ちを込めて、セクハラコメントにも少しの期待をもたせる可愛らしいコメントをするように心掛けた。
(セクハラもなにも、そんな投稿をしているのでそういったコメントしか来なかったが。)
そうすればまた、彼らはまたその期待を求めてやってくると理解していた。
1mmも思っていなかったはずだが、「私でも、愛を与えられるんだよ」と心の奥底、かなり深い場所にあったのかもしれない。

今思うといかがわしいコンテンツを運営していながら何言ってるんだ、と笑える。
与えていたのは愛ではなかったし、むしろ承認欲求を満たしてくれる反応を与えてもらっていた、が正しい。


ーコンテンツ終了のお知らせー

しばらくは元気に「可憐な雰囲気の星野しずく」を運営していたが、
元が元なのですぐに「愛ではないなにか」を与えることに飽きてしまった。

サポート終了である。

それまで男性の好きそうなワード、画像、反応全てを計算して「星野しずく」をしていたが、
この作り上げた「可憐」とはなんだ、と気づいてしまった。

おじさんや中〜大学生くらいのキッズたちから届く不自由な日本語コメントはスルーして、ミュート。
星野を攻撃してくるぽんこつちんぽたちを煽ってはブロック。
ただひたすら、己の欲望(だいたいおちんぽください)と仕事に対するモチベーションについて思いつたタイミングでTLに投げ込む。
たまには毒と棘まみれのつぶやきで殴りかかる。

星野しずくにはもう可憐の”か”の字も見当たらないが、可憐になることを諦めてはいない。
日常生活の私は依然として「愛のような何か」を振りまいている。
おかげで人たらしの称号をいろんな方から贈られたし、愛嬌があって良いねと褒めてもらえる。
だれも私がSNSで裸体を晒しては刺激的な言葉を発信していたとは思わないだろう。
そして今も毎日のようにおちんぽを欲しがっていることなんて知らない。

まだ、日常生活の私が可憐になれる可能性はある。
星野しずくでは可憐になることはできなかったが、星野しずくがいるから日常生活の私はなれるかもしれない。
彼女と同じ種類のにはなれないが、私は私の可憐になってやる。
それ以外愛される道はないのだ。

彼女は可憐な人だった。

できることなら同じ種類の可憐な人間になりたいだけの人生だった。


性に奔放な激務のアラサー裏垢女子、星野しずくです。 性とか愛とか、生とかなんとか。