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8日目、光の柱

継続8日目。


ここには不思議なことは書かないでいようかな、と思っていたけど、
そういうことを書くための準備期間と思っていたので、少しずつ、気の向くまま書いていこうかなと思う。


人より少し敏感でいつもどこか違うところにもう一人の自分がいて、俯瞰して見ている。
そんな感覚が幼少期の頃からある。

私は誰だろう、という哲学的なことを
ずっと考えて生きてきた。

その答えに辿り着いたのはここ5年くらいなのかな、もう正確には覚えていないけど。

とにかく、わたしなんていなかったこととか
全部がひとつだったこととか、
そういうことをひとつひとつ思い出していった。


昔はスピ的なことが好きだったので、
その界隈で答え探しをしていたけど、
私が望んでいるような答えは誰も教えてくれなかったし、そればかりか、
それすらも幻想であることを知った時、
薄い膜みたいなシャボン玉みたいなのが
パチンと弾けて、目が醒めた。


話はずれるけど、
昔、光の柱を立てる人に出会った。
もう10年以上は前の話。

これからの世界に、光の柱を立てる人を増やすべく希望した人に、それを施してくれる。

その頃の私は疑い深く、なにそれと思いながら
みんなで一緒に話を聞いた。

インドの人生の全てが書かれた葉の話も初めて聞いたし、、しかもインドのお土産ももらったり
話はとても面白かったし、私も突っ込んで沢山質問した。変な石を紹介されたけど、
その人もビジネスでやってる感じではなかった。ただ純粋に、お役目のようだった。

そうして私も光の柱を施してもらって
半径、2メートルくらい広がったんじゃないかな。

その人とはそれ以来会っていない
なんの勧誘もないし、本当にただ見えないものに動かされて、ただそれを広めていく人だったのだと思う。

本当のそういう人って、人に自分を依存させない。
これをすれば救われる、とか言わない。
次はこれ、その次はこれ、と自分の信者をつくるようなことはしない。

色んな人に出会った、神様の声が聞こえるという人もいたし、恐れを与えてきた人もいた。
支配したい、という見えないエネルギーも感じた。

そういうものに敏感だった分、そういうこともよくわかったし、強くすぎるネルギーに巻き込まれたりもしたけど、
なんか違う、といつもそういうものからは遠ざかっていった。

世の中にはあれ?と思うこと、怪しいことが沢山ある。
自分で感じて自分で選んで学んでいくしかない。
誰かを信じて、その人に依存するのではなく
自分のことを信じて、自分の選択で選んでいくことが必要だといつも思う。

で、久しぶりに思い出したその光の柱の話。

私はそういうものから目が醒めたけど、
でも、それはそれでこの世界で光の柱として生きている感覚はずっとある。
たまに同じような光を纏った人をみると眩しくて目が開けられなくなる。

目に見えないことだから誰になにか言われるわけではないけど、たまに気がついてくれた人がいるととても嬉しい。


わたしはわたしなりの在り方でただここにいる。

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